義仲寺 September, 2019

今年の秋の吟行は、義仲寺 (#^^#)

義仲寺

源義仲を葬った塚のある義仲寺。門を潜ると左奥に松尾芭蕉の墓と並んで木曽義仲の供養塔が立っている。

木曽殿と背中合わせの寒さかな 又玄

木曽義仲

朝日将軍 木曽義仲は信濃で挙兵、1183年に平氏を討伐。しかし翌年、源頼朝の命を受けた源範頼と源義経との戦いに敗れ、近江国粟津で討ち死にする。享年31歳であった。
義仲の側室巴御前は、無名の尼僧となりこの地に草庵を立て、供養を続けた。草庵の名は「無名庵」。室町末期、荒廃したこの草庵を、近江守護 佐々木六角氏が再建。これが義仲寺である。

松尾芭蕉

悪名も残る木曽義仲だが、芭蕉は、義と情に厚く清廉な義仲の生き様に魅かれ、義仲寺をよく訪れていたらしい。
芭蕉は、1694年(元禄7年)10月12日、御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」で永眠。享年51歳。芭蕉は、「骸は木曽塚に送るべし」と遺言していたという。芭蕉の遺骸は義仲寺に運ばれ、葬儀が行われたのは10月14日であった。
芭蕉の忌日は「時雨忌」と呼ばれ、ここ義仲寺で、毎年11月第二土曜日に法要が営まれている。

義仲寺 木曽殿と背中合わせの寒さかな 又玄


芭蕉

義仲寺の境内に入ると松尾芭蕉の俳号でもある芭蕉があちこちに。

この寺は庭一盃の芭蕉かな 芭蕉

芭蕉の英名はジャパニーズ・バナナ。なるほどバナナのような葉が美しい。

義仲寺 芭蕉

無名庵

義仲寺 無名庵

無名庵

昭和51年に拡張新造された。事前に予約を入れれば一般の人でも句会や文化活動の場所として利用することができる。戸を開けると椿の実が活けられていた。
この日は、ここで仕出しの弁当をいただいた後、のんびり境内の散策と句会を愉しんだ。

義仲寺 無名庵

義仲寺は湖明りなり若葉雨 司馬遼太郎


句碑


義仲寺