土御門総社・・・若狭國名田庄と安倍清明 February, 2020

土御門総社

陰陽師 安倍晴明で知られる安倍氏は、室町時代、家名として「土御門」を称するようになります。
安倍氏嫡流の土御門友宣は、応仁の戦乱から逃れるため、土御門家の所領であった若狭國名田庄に移住。以来、土御門有宣、有春、有脩の3代に渡る百二十年の間、名田庄に隠棲します。この間、陰陽頭として度々京都へ赴いていたようです。
土御門家は有脩の子である久脩の代に京都に戻り、さらに泰福の代に陰陽道宗家として全国の陰陽師を統括、陰陽寮で天文学や暦の作成を司ってきました。
明治三年、陰陽寮は廃止され、土御門家は天文学と造暦の権限を失いますが、陰陽道の系譜は、名田庄の地に本庁を置く「天社土御門神道」として残っています。

土御門総社

天社宮 泰山府君社 跡

土御門総社 天壇

四色の鳥居が四方を囲む天壇
玄武・・・北の守護神
朱雀・・・南の守護神
白虎・・・西の守護神
青龍・・・東の守護神


安倍清明の母を祀る「葛の葉稲荷神社」

恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

葛の葉稲荷神社

村上天皇の時代、安倍野の住人安倍保名は、和泉の国 信太の森で狩人に追われていた白狐を助けます。その際、怪我を負ってしまった保名を、葛の葉と名のる女性が現れ介抱します。いつしか二人は恋仲となり、童子丸という子をもうけます。
幸せな暮らしが続きますが、童子丸が五歳になった時、葛の葉は保名に助けられた白狐であることが知れてしまいます。
葛の葉は、全ては稲荷大明神の仰せである事を告げ、信太の森へと帰ってゆきます。この童子丸が、陰陽師として知られる安倍晴明であると伝えられています。

この葛の葉を祀る神社が「葛の葉稲荷神社」です。
土御門家が名田庄に在住の頃、この地に社を建て、葛の葉姫大明神として祀りました。土御門家が再び京へ戻ることになった際、社も京都唐橋の新邸内に移されます。
やがて、明治となり、都は東京へ。土御門家も東京へ移住することになり、社は、京都の邸内から東京青山の新邸内に移されます。しかし、東京大空襲により、本殿は消失してしまいます。
葛の葉の御魂は再び、名田庄の地で祀られ、現在に至っています。

葛の葉稲荷神社