アフガニスタン 山の学校の子どもたち 長倉洋海

「お医者さん、エンジニア、先生、大臣、パイロット・・・・・学校は、それぞれの夢に向かって飛び立つための、大切な翼だ。」
子どもたちは朝5時に起床し、牛・山羊・羊の放牧、生活用水を川まで汲みにいくという仕事を終えてから学校に向かいます。学校が終わるのは12時。午後は放牧の仕事が待っています。
いきいきとした子どもたちの笑顔、過酷な環境の中で日々の生活を営む人々の姿が写真とエッセイを通して語られます。彼らを見つめる長倉洋海氏の眼差しはやさしくあたたかい。
著者の長倉洋海氏は、ソ連がアフガニスタンへ軍事侵攻した翌年の1980年より、アフリカ・中東・中南米・東南アジアなど世界の紛争地を訪れ、そこに生きる人々を取材するジャーナリスト。アフガニスタンの取材は実に40年に及びます。
長倉氏が、カブールの北方、パンシール渓谷にある「山の学校」の子どもたちに初めて出会ったのは、北部同盟がカブールを奪還しタリバン政権が崩壊した翌年の2002年6月。戦争中閉鎖されていた学校がやっと再開したばかりのころ。
「山の学校」は地元の人たちが子どもたちのために自分たちの手で建てたイスラムでは珍しい男女共学の学校です。
長倉氏を「山の学校」に案内したのは北部同盟の指導者マスード。マスードは近隣国に侵略され続けたアフガニスタンの自主独立を願い、ソ連やパキスタンの支援を受ける原理主義集団タリバンと戦い続けてきましたが、アラブ人の自爆テロにより命を絶たれます。
マスードは「未来を創るのは子どもたち。戦争が終わってからでは遅い。今から子どもたちの教育が必要なんだ。」といつも語っていたと言います。

山の学校の子どもたち