秋明菊

花器は、折りたたみできるプラスチック製の花器。水を注ぐとみるみる膨らんで花瓶として使えるようになります。アイデアですね (#^.^#)

檀林皇后私譜  杉本苑子

檀林皇后とは、嵯峨天皇の皇后であった橋嘉智子のこと。京都嵐電の駅に帷子ノ辻という駅がありますが、「帷子の辻」は、橋嘉智子が風葬されたと伝わる地。嵯峨天皇が当時離宮で大覚寺の大沢池で、菊ガ島に咲く菊を花瓶に挿されたことから始まる生け花の流派が嵯峨御流など、これまで点として知っていたことが線としてつながった書でした。

光仁天皇のころから桓武・平城・嵯峨・淳和・仁明に至るあたりまでがこの小説の舞台となっています。この時代は馴染みが薄かったのですが、本書に触発され、いろいろと調べてみますと、怨霊の跳梁、母子相姦、天変地妖の続発、陰謀や毒殺、政変などなど、波瀾万丈の時代。

平安朝三百年間は、藤原氏の絶頂期。中でも摂関の地位を独占したのは藤原北家。「檀林皇后私譜」に描かれる北家の内麿・冬嗣、南家の三守、武家の百川・緒嗣・ 種継・仲成らを輩出したころは、他族・同族間の排除や蹴落としなど、もっとも藤原家の本性を発揮したピークの時代であったようです。空海や最澄、坂之上田村麻呂、小野篁などが活躍したのもこの時代。
「藤原氏はじつに恐ろしい氏族でして、この門葉の勢力の消長をたどってゆくことで、日本史の本質や問題点の多くを解明できると言っても言いすぎではありません」とは著者杉本苑子の言葉です。

橘嘉智子と橋逸勢を縦軸に描かれた平安朝初期の物語、秋の読書初めの一冊でした。

金剛流 豊春会 秋の能 2024

金剛流 豊春会 秋の能
October 20th, 2024   京都 金剛能楽堂


通小町

京都・八瀬の山里で一夏の修行[夏安居。九十日間籠もる座禅行]を送る僧のもとに、木の実や薪を毎日届ける女がいました。僧が、問答の末に名を尋ねると、女は、絶世の美女、才媛であった小野小町の化身であることをほのめかし、姿を消しました。
市原野に赴いた僧が、小町を弔っていると、その亡霊が現れ、僧からの受戒を望みます。そこに、背後から近づく男の影がありました。それは小町に想いを寄せた深草の少将の怨霊でした。執心に囚われた少将は、小町の着物の袂にすがり、受戒を妨げようとします。
僧はふたりに、百夜通いの様子を語るよう促します。少将からの求愛に、小町は、百夜通って、牛車の台で夜を過ごせば恋を受け入れると無理難題を出します。少将はどんな闇夜も雨、雪の夜も休まず、律儀に歩いて小町のもとへ通いました。そのありさまを再現します。百夜目。満願成就の間際、まさに契りの盃を交わす時、少将は飲酒が仏の戒めであったことを悟り、両人ともに仏縁を得て、救われるのでした。

狂言 因幡堂

大酒呑みで家事もせず、時に自分をいびる悪妻が親元に行ったのを見計らって離縁状を送りつけた夫。自由の身になったものの一人暮らしはやはり不便だと、新しい妻を娶るために夜通し祈願をすべく因幡堂を訪れます。
それを知り烈火のごとく怒って因幡堂にやって来た妻は仏前で祈願の最中に眠っている夫を見つけ、その枕元で「西門に立っている女を妻にするように」と囁きました。それを夢のお告げと思い込んだ男は、西門に立っていた被衣を被った女を新しい妻とするため自宅へ連れてゆき婚礼の盃を交わしますが、この女もまた大酒呑みで盃を返そうとしません。女の被衣を取るとその女は離縁した筈の妻でした・・・

因幡堂の男を演じられていたのは 茂山宗彦さんでした。
NHKの朝ドラ「ちりとてちん」では、徒然亭小草若の役。懐かしいです。

仕舞  笹之段・敦盛・松虫

乱 (猩々)

中国のかね金山の麓、揚子の里に、高風という大変親孝行の男が住んでいました。ある晩のこと、高風は、揚子の市でお酒を売れば、富み栄えることができるという夢を見ます。夢のお告げに従って、お酒の商売をしたところ、高風はだんだんとお金持ちになっていきました。
高風が店を出す市では、不思議なことがありました。いつも高風から酒を買い求めて飲む者がいたのですが、いくら酒を飲んでも顔色の変わることがありません。高風が不思議に思い、名を尋ねると海中に棲む猩々だと名乗りました。
その日、高風は、酒を持って潯陽の江のほとりへ行き、猩々が現われるのを待っていました。そこへ赤い顔の猩々が現われます。猩々は友の高風に逢えた喜びを語り、酒を飲み、舞を舞います。そして心の素直な高風を称え、今までの酒のお礼として、酌めども尽きない酒の泉が湧く壷を贈った上で、酔いのままに臥します。それは高風の夢の中での出来事でしたが、酒壷はそのまま残り、高風の家は長く栄えたといいます。