ドクダミ始末記

ドクダミ

ドクダミ始末記

ことの発端は六月半ばのころ。出物腫物ところ選ばずと言いますが、ドクダミもまたしかりで、特に今年はあちらこちらに大繁殖。

…というわけで、ドクダミの除去に取り掛かりました。やり始めたのはみたものの、これが、けっこう大変で小休止。何かやる気が出る方法はないものかと考えてみたところ、ドクダミ茶のことをどこかのホームページで見たことを思い出しました。作業後半はエンジンがかかり、何とか終了。

さて、ドクダミ茶。適当に束ねて根ごと干しました。梅雨の湿りでなかなか乾燥しなかったのですが、やっとパリパリになったので、ハサミで切り刻んでからミキサーで粉末に。
苦いだろうなと恐る恐る飲んでみましたが、それほどのこともなく、あと味もスッキリでした。

ドクダミは、ゲンノショウコ、センブリと並ぶ『日本の三大薬草』の一つだそうで、「毒を矯める(正しく治す)」という意味から 「ドクダミ」と呼ばれるようになったという説もあるそうです。
血液・血管に関する疾患予防、肩こり・冷え性改善、アトピー/アレルギー症状緩和等々の効能があるらしく、十薬と呼ばれるのもうなずけます。

追伸
このあと、facebookの友人から、いろいろ教えていただきました (#^^#)

  • 冷蔵庫の臭いとりにもなりますよ。
  • 天ぷらも甘くて美味しいです。
  • 雨つづきの翌日ソロ~と抜くと白い根っこ迄綺麗にぬけます。根っこが途中で切れると又すぐのびてきます。雨上がり白い根っこがするする抜けるとうれしくなります。
  • 私は ドクダミジュースをつくりました。ジュースは発酵させてやく 2・3か月かかります。ジュースには花の 咲いていないのが 良いそうです。
  • 車のボンネットで乾燥させたりレンジでチンするとすぐに乾燥できます。
ドクダミ
ドクダミ
ドクダミ
ドクダミ
ドクダミ

天増川の手打ち蕎麦 June, 2020

天増川

天増川の手打ち蕎麦

天増川に手打ち蕎麦の店があることを知り、これは行かねばと思い立ったが吉日、行ってきました。

天増川は、近江と若狭の国境にある集落で、その昔、木地師の集落もあったと聞きます。

現在は滋賀県高島市に属しますが、鯖街道熊川宿から国道303号を滋賀県に向かい数百メートル行ったところを左折、川沿いの道をたどり山の懐に入っていったところにあります。

ここに流れる川の名も天増川、滋賀県を流れる川ですが、琵琶湖ではなく、日本海に向かいます。

さて、国道をそれ、車を走らせること数分、辺り一面夏の緑が美しい山景色となり、暫くすると天増川手打ち蕎麦の看板が目に入ってきました。

手打ち蕎麦をもりで、山菜の天麩羅、小鮎の甘露煮を併せて注文。甘露煮は採ってきたばかりの小鮎を二日間かけて煮込んであるということで、ねちねち感が一切なくまことに美味。食後は蕎麦湯と手作りの水羊羹。

年配のご夫婦が営まれており、やさしいおもてなしに感謝です。

自宅から車だと15分ほどで行けることがわかり、いいお店を見つけました >^_^<

たおやかや山ふところの夏至の蕎麦 ことは

天増川
天増川
天増川手打ち蕎麦 小鮎の飴煮
天増川

蕎麦と越前焼の旅 June, 2020

コロナ感染症の騒ぎも少し落ち着き、心配していた越前町実生窯さんの新作展も開催の運び、同じ越前町にある蕎麦の名店「だんこん舎」さんもすっかりご無沙汰になってしまっていたので、出かけてきました。

まずは、だいこん舎の十割蕎麦。今回は「もり」でいただきました。店主の南さんとは、faecebookの俳句会で知り合ったのですが、大学も同窓ということが後でわかり、嬉しいご縁に感謝。

「このあと、新藤さんの窯に行ってこようと思ってるんです。」と言いましたら、「たぶんそうだろうと思って、蕎麦つゆは新藤さんのところで買ってきた器でお出ししました。」と… >^_^<

蕎麦のあとはカメラ談義。南さん愛用のカメラも私と同じペンタックスの一眼レフ >^_^<
南さんのご友人、前 壽則氏の絵を撮っていらっしゃるとのことで、別棟に案内され前氏の絵を数点拝見しました。素晴らしいという月並みな言葉を使うには失礼な作品の数々に魅入ってしまいました。

さて、実生窯へ。「新藤さんの所は初めてですか、場所はわかりにくいですよ。」と南さん。「カーナビがあるので大丈夫だと思います。」と私。 

・・・「目的地に近づきました。案内を終了します。」とカーナビ。辺りを歩き回れどもそれらしき家は見当たらず、南さんのご心配、的中でした。・・・路を尋ねて無事到着 (#^^#)

越前焼は、平安時代末期、福井県丹生郡越前町(旧宮崎村、織田町)に始まり、日本六古窯のひとつに数えられています。土は鉄分を多く含んでいて、ぬくもりのある土味が魅力の焼です。

実生窯の新藤さんは、ここの窯のひとつで修行され、現在は、粉引きの焼き物を中心に制作されています。数年前、坂東玉三郎さんの公演がこの地で開催された折、会場に出展されていた粉引きの花器に目が止まり購入したのがきっかけで、毎年の新作を楽しみにしています。

ほうじ茶でもてなしていただきました >^_^<


実生窯 八寸のお皿

さっそく家に帰って使うことに…
食い初めは若狭の笹かれい…小ぶりですが美味しかった >^_^<

実生窯 粉引きの一輪挿しに山法師

しおかぜライン・・・帰路は越前海岸沿いを通り一路敦賀方面へ

敦賀市博物館に寄り、「おくのほそ道」素龍清書本の復刻版を購入

時危うくして偉人を思う

夜更けの公園で主人公が唄う「ゴンドラの唄」が印象に残る黒澤明監督作品「生きる」。

映画は以下のナレーションから始まります。
「・・・幽門部に胃ガンの兆候が見えるが、本人はまだそれを知らない。これがこの物語の主人公である。しかし今この男について語るのは退屈なだけだ。何故なら彼は時間を潰しているだけだからだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとは言えないからである。・・・実際この男は20年ほど前から死んでしまったのである。その以前には少しは生きていた。少しは仕事をしようとした事もある。しかし今やそういう意欲や情熱は少しもない。そんなものは役所の煩雑すぎる機構と、それが生み出す無意味な忙しさの中で、全く磨り減らしてしまったのである。・・・本当は何もしていない。この椅子を守る事以外は。そしてこの世界では地位を守るためには何もしないのが一番いいのだ。・・・」

市役所の市民課長 渡辺勘治は、自分が癌に冒されている事を知り、放浪のような二週間を送ります。

「人生の主人公になろうとするために人生楽しく生きることに貪欲になることが重要」という知人と行動を共にしますが、心は満たされません。

別の知人からは、「自分は息子のために耐えてきた。」という勘治の愚痴に、「息子のせいにしてるけど、それは自分で決めたことでしょう。」と言われ、返す言葉を失ってしまいます。

そんな中、「私はただ毎日働いているだけ。課長さんも何かつくってみたら。」という言葉に、「自分にもできることがある」と・・・
限られた時間の中、ようやく彼に輝くような生きる時間が返ってくるのです。

「時危うくして偉人を思う」という言葉があります。
偉人とは、立派な地位にある人という意味ではなく、一国の良心ともいうべき人のことであり、市井にあって良心にしたがい大地の塩となって力を尽くす人のことだと教えを受けたことを映画を観て思い出しました。

1917

全編ワンカットの映像を見たいと行った映画でしたが、見終わって静かな感動が残りました。

サラエボ事件を発端とした第一次世界大戦が始まり3年、西部戦線ではドイツ軍とイギリス・フランス連合軍の消耗戦が繰り返されています。
1917年4月、二人の若い兵士が伝令の任を受けます。任とは、ドイツ軍の用意周到な罠とも知らず総攻撃を仕掛けようとするマッケンジー大佐率いる部隊に攻撃中止の命令を伝えることでした。伝達が遅れれば1600人の部隊が全滅してしまう…

ワンシーン・ワンカットで撮られた映像は、全編を通してワンカットで撮られたように継ぎ目なく臨場感に溢れ、映画の冒頭からこの若い二人の兵士と共に戦場にいるかのように物語の中に引き込まれてしまい、緊張の糸が途切れることのない二時間を体験しました。
登場人物の凝縮された言葉のもつ意味はそれぞれに深く、映像は時に美しく張りつめた戦場の恐怖と緊迫の刹那を伝え、知らず知らずのうちに二人の兵士に感情移入してしまいます。

監督は、サム・メンデス。ロジャー・ディーキンスの映像はもちろんのこと、トーマス・ニューマンによる音楽も映像とストーリーを際立たせる素晴らしいものでした。

映画の後半、森の中でのアカペラ“I Am a Poor Wayfaring Stranger(さまよえる人)”は心を打ちます。

男はつらいよ お帰り寅さん

一度変われば二度変わる
三度変れば四度変る
淀の川瀬の水車
誰を待つやらクルクルと
年が明けそして年が来て
今買わないと この品物が高くなる

観るならやっぱりお正月にと「男はつらいよ お帰り寅さん」に行ってきました。

織り込むように溶け込むように挿入された懐かしい寅さんのシーンと共に物語が進んでいく。
その中に「メロン」のシーンがある。…渥美清さんが「徹子の部屋」に出演した時、こんなことをおっしゃっていた。
「自分の映画はね試写室じゃなく劇場で観るの。そのほうがね…反響が違うんですよね。
例えばね…一個のメロンをみんなで仲良く食べるって話がある。寅次郎が帰ってくるのを忘れて食べちゃった。それで、寅次郎が非常に怒ったっていう話。…新宿とかそういうところで観るととても笑うの、もっともだと。ところがね。浅草の小屋だとね、笑わないんですね。寅にとっておいてやるのが当然なんだ。食べちゃったお前たちが悪いんだという反応がね、浅草の劇場だとあるのね。劇場を変えて観に行くと面白いね。」

そう滅多にあるものじゃない「五十年かけてつくられた映画」…由緒正しき日本のお正月映画は流石でした。

千秋楽

今年も無事めでたく千秋楽

ゆずり葉にのせた鰯、自然薯蕎麦、埋み豆腐…手作りのおもてなしで、気心知れた仲間との納会。
いろいろあったと言えばあった一年でしたが、何とか無事に今年を終えることができ感謝です。

年惜しむかはたれ時の豆腐売り ことは