北国街道 木之本・余呉湖・徳山鮓

俳句仲間と二年ぶりに、吟行に行ってきました。幹事さんが、徳山鮓(とくやまずし)の予約を早めにとっておいてくれたので、熊料理を地酒「七本鎗」とともに堪能しました。

余呉湖

余呉湖は琵琶湖の北、賤ケ岳をひとつ隔てたところにあります。天女の羽衣や龍神・菊石姫の話が伝わり、湖面に映る景色も美しく鏡湖とも呼ばれています。
出掛ける時は青空でしたが、余呉湖についた時は時雨。それもまたいい風情でした。
「ワカサギ釣り」をする釣人で賑わっていましたが、春には桜、四季折々の風景が楽しめそうなところです。

木之本宿

木之本地蔵院・阿弥陀堂

徳山鮓

豊臣秀吉と柴田勝家の合戦で有名な賤ヶ岳の麓、余呉湖の湖畔にある料亭です。周囲には静かな湖面と山々、田園風景が広がります。
初めて食べる熊料理・・・熊のしゃぶしゃぶ、熊肉の包焼き、熊飯、熊蕎麦の他、鮒鮨、鯉の刺身などなど、地酒「七本槍」を飲みながら堪能しました。

明王院の紅葉

葛川明王院(かつらがわみょうおういん)
大津市葛川坊村にある天台宗の寺院です。毎年梅雨の時季には千日回峰の阿闍梨さんが夏安居をここでされます。
明王院は、国道367号沿いにある葛川郵便局の近く、北に流れる安曇川から東側に入った明王谷の北岸に位置します。明王谷をはさんで南側には明王院の鎮守である地主神社があります。

朽木蕎麦 永昌庵

以前から一度行きたいと思っていた朽木蕎麦 永昌庵。やっと行くことができました。
お店は、滋賀県 安曇川沿い、桑野橋の近くにあります。拙宅からは車で30分ほどのところ。
おすすめのざるを注文。品書きにあった「とちあげ」「そばもちあげ」を後で注文。「とちあげ」は、揚げた栃餅を蕎麦つゆでいただきます。「そばもちあげ」はお塩で。
ざるは、固くなくやわらかくなくしっとりとした中細麺。美味しかったです。
お店の窓からは安曇川が望め、鮎釣りをしている釣り人がお一人。安曇川に面したお店の小さいお庭はピーターラビットのお庭のよう…とても落ち着く素敵なお店でした。
ざるは720円、お餅330円。
日曜日・祝祭日は定休日、麺が無くなりしだい閉店ということです。

葛川明王院とお水送り March 2021

葛川明王院

若狭神宮寺の「お水送り」は奈良東大寺二月堂の「お水取り」の「お香水」を送る神事。若狭神宮寺上流にある鵜の瀬に流す香水は、十日をかけて奈良東大寺二月堂の「若狭井」に届くとされており、毎年三月二日に行われます。
残念なことに、昨年に続き今年もコロナウイルス感染拡大防止のため一般向け行事は中止。極々限られた関係者のみによる神事の斎行となりました。お水送りの写真は三年前のものです。

葛川明王院(かつらがわみょうおういん)
さて、お水送りの神事に参列する叡山の僧が、毎年、ここで宿泊されるということを聞き、一度行ってみたいと思っていた大津市葛川坊村にある天台宗の寺院、明王院に行ってきました。毎年梅雨の時季には千日回峰の阿闍梨さんが夏安居をここでされるようです。
明王院は、国道367号沿いにある葛川郵便局の近く、北に流れる安曇川から東側に入った明王谷の北岸に位置します。明王谷をはさんで南側には明王院の鎮守である地主神社があります。
寒さが残る境内は閑かで、春の訪れを待つようでした。

葛川 明王院

地主神社

比良山荘 山の辺料理

地主神社門前にある比良山荘。一度ゆっくり、鮎料理をいただきたいものです。

比良山荘

何はともあれ、若狭の春を告げる「お水送り」の神事はしめやかに斎行されたよし。春が楽しみです。

里坊 旧竹林院 September, 2019

旧竹林院 大津市坂本

大津市坂本は、延暦寺、日吉大社の門前町として栄えた町。延暦寺の僧侶の隠居所である里坊が並ぶ。旧竹林院はその里坊のひとつ。八王子山を借景に、滝組と築山が配された庭に佇むと、時を忘れてしまいそう。できることなら、四季折々に訪れてみたいと思ってしまう。

堅田の落雁 September, 2019

「堅田の落雁」として有名な浮御堂。
竜宮造りの山門をぬけると琵琶湖が眼前に広がる。対岸には、東に伊吹山、長命寺山、三上山、沖島、西に比良連峰、比叡山と近江の山々が並び、琵琶湖大橋の姿も美しい。
浮御堂は臨済宗の禅寺で、「海門山満月寺」が正式な名称。平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したとのこと。浮御堂内には「千体仏」が安置されている。
境内には、いくつかの句碑を散見され、散策も愉しかった。

比良三上雪さしわたせ鷺の橋 松尾芭蕉
鎖あけて月さし入れよ浮み堂 松尾芭蕉
湖もこの辺にして鳥渡る   髙浜虚子
病雁も残らで春の渚かな   高桑蘭更
五月雨の雨だればかり浮御堂 阿波野青畝

浮御堂

義仲寺 September, 2019

今年の秋の吟行は、義仲寺 (#^^#)

義仲寺

源義仲を葬った塚のある義仲寺。門を潜ると左奥に松尾芭蕉の墓と並んで木曽義仲の供養塔が立っている。

木曽殿と背中合わせの寒さかな 又玄

木曽義仲

朝日将軍 木曽義仲は信濃で挙兵、1183年に平氏を討伐。しかし翌年、源頼朝の命を受けた源範頼と源義経との戦いに敗れ、近江国粟津で討ち死にする。享年31歳であった。
義仲の側室巴御前は、無名の尼僧となりこの地に草庵を立て、供養を続けた。草庵の名は「無名庵」。室町末期、荒廃したこの草庵を、近江守護 佐々木六角氏が再建。これが義仲寺である。

松尾芭蕉

悪名も残る木曽義仲だが、芭蕉は、義と情に厚く清廉な義仲の生き様に魅かれ、義仲寺をよく訪れていたらしい。
芭蕉は、1694年(元禄7年)10月12日、御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」で永眠。享年51歳。芭蕉は、「骸は木曽塚に送るべし」と遺言していたという。芭蕉の遺骸は義仲寺に運ばれ、葬儀が行われたのは10月14日であった。
芭蕉の忌日は「時雨忌」と呼ばれ、ここ義仲寺で、毎年11月第二土曜日に法要が営まれている。

義仲寺 木曽殿と背中合わせの寒さかな 又玄



芭蕉

義仲寺の境内に入ると松尾芭蕉の俳号でもある芭蕉があちこちに。

この寺は庭一盃の芭蕉かな 芭蕉

芭蕉の英名はジャパニーズ・バナナ。なるほどバナナのような葉が美しい。

義仲寺 芭蕉


無名庵

義仲寺 無名庵

無名庵

昭和51年に拡張新造された。事前に予約を入れれば一般の人でも句会や文化活動の場所として利用することができる。戸を開けると椿の実が活けられていた。
この日は、ここで仕出しの弁当をいただいた後、のんびり境内の散策と句会を愉しんだ。

義仲寺 無名庵

義仲寺は湖明りなり若葉雨 司馬遼太郎


句碑


義仲寺