胡麻豆腐 團助

精進料理と言えば胡麻豆腐。永平寺にお参りしたあと、團助さんに寄りました。肉や魚を用いない精進料理、胡麻は修行僧達の貴重なタンパク質源。
團助の創業は明治21年。永平寺の修行僧に製法を学び作り始めたのが『團助胡麻豆腐』の始まりだそうです。
白胡麻豆腐と黒胡麻豆腐のセットを購入。温めて食べるのも美味しいですが、そのままでも・・・ ひんやり、つるんとしていて、ついていたお味噌もつけて食べました。美味しかったです。

冬の永平寺

初旅は永平寺
前日の夜から大雪警報が発令される永平寺町。雪を心配しながらの永平寺への参拝となった。永平寺は何度かお参りしているが、一度、厳寒のころの永平寺を訪れたいと思っていたのがやっと実現。
大雪のため普段は賑やかな門前のお店はすべて閉店、そして、他に参拝者が誰もいない永平寺へのお参りとなった。本堂を出て、寂光苑へ向かおうとしたが、道はすっかり雪で閉ざされていた。
永平寺にはまたお参りすることもあろうが、おそらく、冬の永平寺への参拝はこれが最後となろう。

くずし割烹 ぼんた 福井駅前店

福井市に宿をとるのは何年ぶりのことだろう。1月30日 福井駅東口9時集合のタクシーツアーに、参加することになっていて、冬のことなので前泊したほうがよさそうと、福井駅の近くにホテルをとっておいたのが大正解。福井駅に着いた時は予想以上の積雪で、まもなく、大雪注意報が警報に・・・

井之頭五郎さんの孤独のグルメ気分で駅近くを散策。ほどなく「おたん」という居酒屋さんを発見しましたがすでに満席のため、断念。次に見つけたのがここ「ぽんた」、季節のお刺身、だし巻き、鯖の山椒煮で、一杯いただきました。カウンターに座ったのですが目に前に黒龍酒造の銘酒がならんでいました。一合6,800円、すご~いお値段。

むぎや

敦賀市にある創業180有余年の蕎麦屋さん。けやきの厚い一枚板のテーブルといい、調度品や品書きといい、その風格を感じる佇まい。
ここの蕎麦は、奥越地方産の蕎麦を石臼挽き製粉したものを使った伝統の越前蕎麦。おろし蕎麦にしようか、ざる蕎麦にしようかと迷いましたが、ざるを頼みました。麺はつるりとしていてほどよき固さ。蕎麦湯も美味しかったです。
橋本徹さんが、大阪府知事時代に来られたのか色紙が飾ってありました。

ごえん

遠方より客人があり、小浜の「ごえん」さんで会食。

人気のお店なので、空いてるかなと思いつつ電話をしたら、今週は海も落ち着き、いい魚を仕入れすることができたので楽しんでいただけますよとの返事。ラッキーでした。

さて「ごえん」。牡丹エビの造り、若狭鰈、若狭ぐじ(甘鯛)のから揚げなどなどを肴に、早瀬浦、黒龍、梵、八海山をぼちぼち・・・ 

〆の雑炊をいただくまで、あっと言う間の楽しい三時間でした。

呑み鉄 小浜線ひとり旅

六角精児さんの「呑み鉄本線・日本旅」という番組が好きで、時折、録画を見ながら、一度やってみたいな~とリストを作っていくと只見線、近江鉄道、宗谷本線、三陸鉄道ときりがありません。
先ずは地元から。第一回は、小浜線にて敦賀駅までの呑み鉄ひとり旅と決めました。
敦賀駅前に出来たという本屋さん「ちえなみき」を訪ね、そのあと、蕎麦で一杯が目的というシンプルな旅。
東美浜駅を過ぎると粟野駅、ここより敦賀市となります。ワクワク。粟野駅は鉄道員だった義父が若いころ勤めていた駅。今では、小浜線のほとんどの駅は無人駅になってしまいましたが、その頃はどの駅にも駅長さんがいたのです。柔和な優しいお父さんの姿を思い出しました。
さて敦賀駅、駅前はすっかり整備され様変わり。驚きました。
「ちえなみき」は、思った以上に素敵なところ。目当ての本を探して買うというよりも、書架を巡っているうちにこんな本があったんだと、思わぬ本に出合えるところ。感じのよい図書館と言ってもよさそう。店内には中道源蔵茶舗のコーナーもあってお茶やスイーツを楽しめる設え。経営は丸善雄松堂と知り納得。いいお店が近くにできました (#^.^#)
何冊か本を買って、目当ての蕎麦屋「すずや」さんへ。
じゃこおろしといたわさ、お蕎麦で一献。お酒は地酒の早瀬浦。
帰りの列車の友はトリスの小瓶。約4時間、第1回呑み鉄の旅、無事終了。

小浜線

すずや

ちえなみき


黒龍 Eshikoto

永平寺がある永平寺町は、お酒がお好きな方ならご存知かもしれない黒龍酒造があるところ。
永平寺参拝後、この黒龍酒造さんが展開する「ESHIKOTO」へ行ってきました。到着すると広大な土地に、二つの建物が並び立っています。
一つは、黒龍酒造醸造のスパークリング日本酒「ESHIKOTO AWA」の貯蔵庫、またイベントスペースとしても使われるという臥龍棟。
酒樂棟と名付けられたもう一つの建物には、黒龍ESHIKOTOブランドのお酒と仁左衛門他黒龍酒造の銘酒を試飲してから購入できるショップ、それに「レストランacoya」が併設されています。
せっかくの機会、ランチをスパークリング日本酒「ESHIKOTO AWA」と共にいただきました。
スパーリング日本酒は、獺祭、一ノ蔵、梵、白瀧酒造なども販売していますが、さて楽しみな黒龍酒造の「ESHIKOTO AWA」。
透明感のある爽やかな味わい、美味しゅうございました (#^.^#)

曹洞宗大本山 永平寺


永平寺

寛元2年(1244)道元禅師によって開創された座禅修業の道場。

道元

正治二年(1200)京都の公卿 久我家(村上源氏)に生まれる。
建暦三年(1213)天台座主公円について出家。
建保五年(1217)建仁寺にて栄西の弟子の明全に師事。
貞応二年(1223)明全とともに博多から南宋に渡って諸山を巡る。
安貞元年(1227)帰国。
寛元元年(1243)越前国の地頭波多野義重の招きで越前志比荘に移転。


永平寺正門

正門には、「杓底一残水」「汲流千億人」としるされている。
道元禅師は、柄杓で汲んだ水で手を洗い、そして、柄杓の底に残った水を川へ還されたという。永平寺の境内には川が流れ、水が豊富である。そのいくらでもある水でさえ粗末にしてはいけない、大切にするようにと道元禅師は教えられたという。


永平寺 龍門


永平寺 勅使門


永平寺 七堂伽藍

僧侶が修行をする建物を「伽藍」と呼ぶ。
禅宗寺院では「法堂・仏殿・僧堂・庫院・山門・東司・浴室」を「七堂伽藍」と云う。
中でも「僧堂・東司・浴室」を「三黙道場」と云う。
「東司」とは、「手洗い」のことで正面に「烏枢沙摩明王」が祀られている。


傘松閤

156畳敷の大広間。天井には230枚の「天井絵」。その中に、花鳥ではない絵が五枚(阿形の青い唐獅子・吽形の白い唐獅子・リス・夫婦の白い鯉・黒い鯉)あるそうです。正面左には第80世貫首 南澤道人(みなみさわどうにん)老師の肖像画。


山門

寛延2年(1749)築。五間三戸の中国唐時代様式の楼閣門で、両側には仏教の守護神である四天王を祀られている。階上には釈迦如来像、五百羅漢などが安置されています。
修行僧が永平寺に入門願いをする際、禅問答が行なわれる場所。
山門の右には「家庭厳峻 不容陸老従真門入」の文字。左には「鎖鑰放閑 遮莫善財進一歩来」の文字。
「どのような社会的地位のある人でも仏を求める心が無ければ、この門より入ることは許さない。」「そうであるが、鍵はかからず扉もない、入り口は常に解き放れている、善財童子のような道心があればいつでも、入ることができる」「ここより先は厳しい出家修行の道場であり、求道心の在る者のみ門をくぐることが許される」という意味のようです。


白山水
白山連峰に連なる湧き水。御開祖道元禅師の真前にお供えする霊水、また、写経の時にも用いられるそうです。

承陽殿
永平寺の祖廟。道元禅師・二祖懐弉禅師・三祖義介禅師・四祖義演禅師・五祖義雲禅師の五大尊の尊像が安置されている。また、歴代住持の位牌や開基である波多野義重公の木像、道元禅師の生家である久我家の位牌が祀られている。


玲瀧の滝

玲瓏(れいろう)・・・金属や玉などが、透き通るように、美しいことを意味します。


寂光苑・舎利塔

寂光苑

寂光とは、日本語で「安らかで、静かな光」のこと。石碑には、「仏の光に照らされた静寂光の浄土、心安らかな苑の意」と書かれています。寂光苑には、大きな鐘があって、誰でもつくことができます。

舎利塔

永平寺の歴代の住職のお墓があります。


天龍寺

清涼山天龍寺は、福井県永平寺町にある曹洞宗大本山永平寺の末寺です。1653年に松岡藩初代藩主松平昌勝公の命によって創建されました。


物書きて扇引きさく余波哉  松尾芭蕉
ものかきておうぎひきさくよなみかな

元禄二年(1689)旧暦八月十日、芭蕉は旧知の仲であった大夢和尚に会うために天龍寺を訪れます。金沢より同行してきた立花北枝と共にこの寺で一泊します。八月十一日の朝、芭蕉は北枝と別れて永平寺に向います。