相国寺 November, 2018

久しぶりの相国寺。近くには京都御所、同志社大学。紅葉が見頃だったが、観光の人もそれほど多くはなく、ゆっくりと紅葉を堪能できた。

相国寺は、金閣寺、銀閣寺をはじめ九十余ヵ寺を数える末寺を有する臨済宗相国寺派の大本山であり、京都五山第二位に位置するお寺。
京都五山とは、室町時代、足利義満が定めた臨済宗の五大寺を言い、南禅寺を別格とし、天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺が位置する。

法堂の天井には、鳴き龍として知られる狩野光信筆による蟠龍図がある。

方丈

禅宗寺院の住職の居室である方丈。原在中筆の「白象」他、襖絵が見事。

相国寺

相国寺 方丈 杉戸絵
白象 原在中筆

開山塔

開山塔(開山堂)には、開山夢窓国師像が安置されている。

相国寺

相国寺

相国寺

相国寺 開山堂 杉戸絵
芭蕉狗子図 円山応挙筆

相国寺

 

日日是好日

日日是好日 森下典子(新潮文庫)

日日是好日

著者曰く「雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には、暑さを、冬には、身の切れるような寒さを味わう。…どんな日も、その日を思う存分に味わう。…」 豊かに生きるとはこういうことなのだろうと、とても爽やかな気持ちになって読了した本です。

著者の森下典子さんは、大学生の頃、母親の勧めで武田のおばさんからお茶を習うことに。
以来、週一回のお茶の稽古を二十五年間。その間、就職、恋愛、失恋、父との死別など山あり谷あり、その時折の様々な思いが、ほんとうに素直に語られていて、等身大の著者に会うことができました。

映画のほうも、やっと近くで上映されることになったので、来週にでも行ってこよう。武田先生を樹木希林さんが演じられているということで、それも愉しみ (#^^#)

森下さんは、これまでの人生とお茶との出会いをこのように振り返っています。

  • 「世の中には、『すぐわかるもの』と、『すぐにはわからないもの』の二種類がある。すぐわかるものは、一度通り過ぎればそれでいい。けれどすぐにわからないものは、何度か行ったり来たりするうちに、後になって少しずつじわじわとわかりだし、『別もの』に変わっていく。そして、わかるたびに、自分が見ていたのは、全体の中のほんの断片にすぎなかったことに気づく。『お茶』って、そういうものなのだ。」
  • 「静かに並んで座ったまま、私は、先生と気持ちを共有したような気がした。先生は言わないのではない。言葉では言えないことを、無言で語っているのだった。本当に教えていることはお点前の外にある。」
  • 「先生は、私たちの内面が成長して、自分で気づき、発見するようになるのを、根気よくじっとまっているのだった。本当に知るには、時間がかかる。けれど、『あっ、そうか!』とわかった瞬間、それは私の血や肉になった。もし、初めから先生が説明してくれたら、私は、長いプロセスの末に、ある日、自分の答えを手にすることはなかった。先生は『余白』を残してくれたのだ。」

本の中から武田先生の言葉を幾つかひろってみました。

  • 「お茶はね、まず『形』なのよ。先に『形』を作っておいて、その入れ物に、後から『心』が入るものなの。」
  • 「間違えるのは、かまわないの。だけどキチンとやりなさい。一つ一つの小さな動きに、キチンと心を入れるのよ。」
  • 「たとえ何度も、同じ亭主と客が集まって茶事を開いたとしても、今日と同じようには二度とならないのよ。だから、一生に一度限りだと思って、その気持ちでやるんですよ。」
  • 「年月がたって慣れてくると、つい細かいところを略したり、自分の癖が出てきたりしますからね。お稽古を始めたころと同じように、細かいところにまで心を入れて、きちんとお点前することが大事ですよ。」
  • 「教えるってことは、いろいろなことを教えてもらえることよ。」
  • 「……毎年毎年、同じことの繰り返しなんですけれど、でも、私、最近思うんですよ。こうして毎年、同じことができることが幸せなんだって。」

先今年無事目出度千秋楽 (まず今年無事めでたく千秋楽)