JR 奈良駅
JR京都駅より「みやこ路快速」に乗車。ほぼ一時間でJR奈良駅に到着。警報級の雨との予報だったが、着いた頃には雨が上がっていて、一安心。興福寺辺りまで散策し、夕食。
旧奈良駅の駅舎は、奈良市総合観光案内所として活用されいる。




大神神社
早朝、近鉄奈良駅より大和西大寺駅へ。大和西大寺より橿原線橿原神宮行に乗り、大和八木駅へ。
大神神社(おおみわ神社)は、日本最古の神社と言われている神社。
大神神社は、本殿を持たず三輪山をご神体として祀っている。
三輪山は国を開いた大物主大神(大国様)が御魂を留めたという霊山であり、「神の宿る山」として崇められている。三輪山は、古来より一木一草にいたるまで斧で伐採することを許されていないそうだ。








狭井神社





狭井神社は三輪の神様 荒魂(あらみたま)をまつる神社。荒魂は、病気平癒の神様。薬井戸の「御神水」は諸病に効くとされ、持ち帰ることもできる。
三島由紀夫の「豊饒の海」の第二部「奔馬」の冒頭の場面は大神神社。執筆前に、大神神社を訪れた三島由紀夫は大神神社の神体である三輪山に登り、その感想を「清明」という言葉で色紙に残した。狭井神社には、その文字を刻んだ石碑が建立されている。
今西酒造


今西酒造は、万治3年(1660年)創業の老舗
酒造りは三輪の地が発祥だといわれている。三輪山は古来から「三諸山(みむろやま)」と呼ばれ、「うま酒みむろの山」と称されるは「みむろ(実醪)」すなわち「酒のもと」の意味で、 酒の神様としての信仰からの呼び名であるとのこと。
長谷寺 門前
大神神社をあとにし、長谷寺へ。先ずは、門前の食事処「酢屋長」で腹ごしらえ。にゅうめんセットを注文。美味しかった。
お土産には草餅がよいらしい。何軒か草餅屋さんがあったが、「寿屋」さんへ。




長谷寺
長谷寺は、真言宗豊山派の総本山。西国三十三観音霊場第八番札所、 四季を通じ「花の御寺」として知られる。散り始めていたが美しいい牡丹を見ることができた。六月になれば紫陽花、楽しみなことだ。



























橿原市 今井町
長谷寺より今井町へ。今井町は、現在も江戸時代そのままの情緒と風情の町並みを残す町。
古民家カフェ「ハックベリー」で休憩し、宿に帰ることにする。




薬師寺
さて、奈良の旅最終日。近鉄大和西大寺から橿原線橿原神宮行に乗り、西ノ京へ。西ノ京駅から歩くこと数分で薬師寺に着く。この前、薬師寺を訪れた時は、まだ西塔が再建されていなかったから、随分、昔の話である。















唐招提寺
今回の奈良の旅のハイライト。四十数年ぶりの参拝である。
「現世にこせこせして生きているのが厭になったらここに来るのがよい」と堀辰雄が述べた唐招提寺の創建は、七五九年。
鑑真が日本の僧の招きにより最初の渡日を試みたのは七四三年、以来、密告や妨害、または航海途中の暴風雨により渡日を阻まれ、数回の試みのあとやっと屋久島にたどり着いたのは七五三年十二月のことであった。しかし、屋久島より大宰府を目指すも遭難。幾度の困難を乗り越え、あくる七五四年二月、ようやく奈良に到着する。渡日を覚悟してより十年の歳月がたっていた。
若葉して御目の雫ぬぐはばや 松尾芭蕉
芭蕉が唐招提寺を訪れたのも初夏のころであったのだ。いいお参りができた。また、訪れることにしよう。



















興福寺・奈良国立博物館
奈良国立博物館の超国宝展を見学する予定だったのだが、あいにくこの日は、前期と後期の入れ替え日で休館。まぁ、仕方がない。
興福寺の興福寺国宝館を訪れ、八部衆立像を拝顔。八部衆とはとは、仏教における仏法を守護する八種類の神々の総称で、「天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽」の八尊を指す。仏教が伝えられる以前の古代インドの鬼神などが仏教に帰依し、仏法を護る神として信仰された。阿修羅は仏教を助ける戦闘の神である。





春日大社
一之鳥居から春日燈籠が並ぶ参道を歩き、本殿へ。五十年ぶりの参拝である。
奈良の旅、これにて終了。いい旅ができた。























































