信州 上田の旅


敦賀駅を出発 

北陸新幹線 初乗りの旅


柿の葉寿司と言えば奈良が有名ですが、敦賀駅で駅弁を探していましたら、若廣(小浜市)さんの柿の葉寿司が目に留まり、迷わず購入。鯖、サーモン、のどぐろ(アカムツ)の押し寿司で、量も手ごろ、美味しい一品でした。駅弁は旅の楽しみ。

浦和で宿泊したあくる六月三十日、俳句の友達と上田へ。
真田神社で夏越の祓のお参りをしたあと、信州蕎麦で早めの昼食。
安楽寺、前山寺、北向観音へ参拝したあと、無言館へ。
無言館のことは多くのメディアで紹介されていますが、この場所に身を置いてみて、はじめて感ずることができるものがある、そのような気がしました。


上田駅

上田城

真田昌幸が上田城を築き始めたのは、天正11年(1583)。当時、昌幸は徳川家康に臣属していました。しかし、家康から上田沼田領を北条方に譲るように命じられた昌幸は、これを拒絶し、徳川と断交。昌幸は、次男真田幸村を上杉方に人質として差し出し、上杉景勝に築城とその他の援助を求めます。
天正13年(1585)8月に徳川軍で上田城を攻撃しまが、昌幸はこれを撃退。そして、天正13年の9月上田城は一応の完成をみます。

慶長5年(1600)に関ケ原の戦いが起こり、昌幸と次男の幸村は石田方に、長男の信之は徳川方に別れて戦うことになります。
石田方についた昌幸と幸村は、上田城に立てこもり、東山道を西上する徳川秀忠軍3万8000人に対して、わずか2500人で籠城(ろうじょう)戦を行います。
しかし関ケ原の戦いは、石田方の敗北に終わり、昌幸と幸村は、九度山(和歌山県)に幽閉されます。
徳川方に接収された上田城は、堀を埋められ、櫓などの建物はいうまでもなく壊され、廃城となります。その後、上田領を家康から与えられた長男の真田信之が引き継ぐことになります。

真田神社は、上田城本丸跡に鎮座し、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。丁度この日は六月三十日、真田神社で夏越の祓えのお参りをしました。


草笛お城前店でくるみ蕎麦

さて、お昼は信州蕎麦をと、上田城近くの「草笛 上田お城前店」へ。とろろ蕎麦かくるみ蕎麦か、迷いましたが、くるみ蕎麦と田楽を注文。
蕎麦つゆに磨り潰したクルミを加えていただきます。少し甘味のある出汁に、コシのある手打ち蕎麦がいい塩梅でした。


曹洞宗 崇福山安楽寺

崇福山 安楽寺は、信州最古の禅寺。本堂の裏を登っていくと、山腹に国宝 八角三重塔が姿を現します。一見、四重塔に見えますが、初重は裳階であるとのこと。


真言宗 前山寺

前山寺は、信州上田の独鈷山麓にある真言宗の寺院。塩田平を眼下にし、東に上田城、千曲川、西に別所温泉が位置します。

「未完成の完成の塔」と呼ばれている三重塔は、見事に美しく、落ち着いた佇まい。門前の紫陽花が見頃でした。桜、藤、紅葉のころにも訪れてみたい花の寺です。


北向観音堂 常楽寺

北向観音は、善光寺と対角線上に向かい合うように建立されています。
北向観音は、現世利益を願うのに対し、善光寺は極楽往生を願うのだそう。両参りすることで、すべての厄を払い、幸福のご利益を授かれるということです。
恥ずかしながらここに来て、初めてそのことを知りました。善光寺は二十代のころに一度お参りしたことがあるので、今回でやっと両参りできたことになります。


無言館

第二次世界大戦で没した画学生の慰霊を掲げて作られた美術館。開館は1997年。館主は窪島誠一郎。窪島は、自らも出征経験を持つ画家・野見山暁治とともに全国の戦没画学生の遺族を訪問し遺作を蒐集しました。
2024年6月1日 文筆家・内田也哉子が共同館主として就任し、後を引き継いでいくことになるようです。
無言館のことは多くのメディアで紹介されてきていますが、この場所に身を置いてみて、はじめて感ずることができるものがある、そのような気がしました。そのことを文章にするには今しばらくの時間が必要です。