三中井百貨店と中江家
中江家のことについては、以下のようにご邸宅に掲示されていました。
三中井は、明治三八年に三中井商店として発足し、昭和四年頃から本格的に百貨店経営 に乗り出しました。この三中井百貨店を経営 したのが金堂に本部を置いた中江勝治郎です。 「実業を以て鮮満に活躍せんとする青年 は来たれ、我が三中井へ」の合言葉で、短期間の内に朝鮮・中国に二十余店舗を有する大百貨店に成長しました。し かし、敗戦と共に三中井も解体せざるを得ませんでした。
昭和八年に建築されたこの中江準五郎邸は、 三中井百貨店の経営にあたった中江勝治郎一 族の邸宅で、隆盛を極めた往時の三中井を偲ぶことができます。
平成八年三月 東近江市五個荘近江商人屋敷 中江準五郎邸












小幡でこ由来記
山紫水明の琵琶湖の東、五個荘町小幡に育った《小幡でこ》は色彩が豊かで素朴な近江唯一の伝統を持つ郷土人形として古くから人形愛好家に親しまれております。
種類は、非常に多く、約500種類あり3月、5月の節句人形を主体に祭のみこしや、信仰縁起もの、教訓に関係あるもの、十二支に因むもの、風俗人形や、軍人及び馬のり鎮台、松竹狐など小幡独特の型、その他、独自の創作を案出したものが伝えられており、型の寸法も小は3cm位から、大は90cm位まであります。
初代、安兵衛は、はじめ京都通いの飛脚をしていましたが、たびたびの追い剥ぎ、恐喝等々に遭い、それがための賠償等に困り、その末、考えたのが家にいて出来る仕事、人形づくりの転業でした。京都通いしていた安兵衛は、当時盛んに売られていた伏見人形に着眼、その製法を修得し、今から300年程前〔享保年間)小幡で人形を造り始めたのが、その起こりでその後代々続けられています。
当時は、中山道、御代参街道〔小幡が起点)を往来する人々や近くの子どもたちに親しまれ、みやげや玩具として需要が多く「小幡でこ」として宣伝されていました。
同業者も、明治初期までは4~5軒ありましたが、現在は当家のみとなり、現当主〔細居源悟氏)は、9代目となります。


布引焼
湖東地方に低く長く延びる布引山系には 白鳳から平安時代にかけて陶器がやかれて
いた穴窯の跡が数多く残されています。その後一千年もの間途絶えていたこの地に、
当時の名釉 「緑釉」の再現をもとにして一九七一年、布引窯が誕生しました。
そして更に独自の絵付と技術を重ねて完成させた布引焼は、全く新しい湖東の焼物
として地域と共に育まれ歩んでいます。布引焼の特色は柔らかな色調の七彩天目です。 窯変の生みだす微妙な色の変化と、奥深い透明 感からは無限の可能性が広がってゆきます。




























































































