経済安全保障 北村 滋

スパイ天国と言われ続けた日本、警視庁外事課長時代に扱った事件を例にその実態を紹介。続いて、経済安全保障の概念、具体的な内容についての解説は、とても分かりやすい。

「これまで、日本の行政法には安全保障の観点はなかった。つまり、我が国の基幹インフラに外国からの攻撃があっても、また、それが脆弱性を抱えていても、国がそれを守るための仕組みがなかったということだ。戦後、自ら国を守るという意識を欠いたまま、経済を肥大化させる歩みを続けてきた日本。(世界の状況が混沌とするなか)、経済安全保障が死活的に重要な時代が到来した」と北村氏は述べる。

一読の価値が十二分にある一冊だった。

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大原 「熊谷 鉈捨藪跡」

大原三千院の門を右手に直進し、津川の橋を渡るとはやがて勝林院にいたります。

勝林院は、「大原問答」が行われた寺院。文治二年(1186)、比叡山、東大寺の高僧やその弟子があつまり、法然と浄土念仏の教理について問答しました。法然は、どのような難問にも経典の根拠を挙げて理路整然と論破したと伝えられています。

さて、津川にかかる橋の手前に、「熊谷 鉈捨藪跡」の文字を刻んだ石碑があります。説明によると、法然上人の弟子の熊谷直実(蓮生坊)は、「師の法然上人が論議にもし敗れたならば法敵を討たん。」と袖に鉈を隠し持っていたのですが、法然上人に諭されて鉈を藪に投げ捨てた場所ということです。

熊谷直実が法然の弟子になったのは、建久三年(1192)以後のことなので、直実が法然上人のお供をしたというのは、史実にあいません。どうやら、伝説の史跡のようです。

大原 鉈捨藪跡