大原 「熊谷 鉈捨藪跡」

大原三千院の門を右手に直進し、津川の橋を渡るとはやがて勝林院にいたります。

勝林院は、「大原問答」が行われた寺院。文治二年(1186)、比叡山、東大寺の高僧やその弟子があつまり、法然と浄土念仏の教理について問答しました。法然は、どのような難問にも経典の根拠を挙げて理路整然と論破したと伝えられています。

さて、津川にかかる橋の手前に、「熊谷 鉈捨藪跡」の文字を刻んだ石碑があります。説明によると、法然上人の弟子の熊谷直実(蓮生坊)は、「師の法然上人が論議にもし敗れたならば法敵を討たん。」と袖に鉈を隠し持っていたのですが、法然上人に諭されて鉈を藪に投げ捨てた場所ということです。

熊谷直実が法然の弟子になったのは、建久三年(1192)以後のことなので、直実が法然上人のお供をしたというのは、史実にあいません。どうやら、伝説の史跡のようです。

大原 鉈捨藪跡