曹洞宗大本山 永平寺


永平寺

寛元2年(1244)道元禅師によって開創された座禅修業の道場。

道元

正治二年(1200)京都の公卿 久我家(村上源氏)に生まれる。
建暦三年(1213)天台座主公円について出家。
建保五年(1217)建仁寺にて栄西の弟子の明全に師事。
貞応二年(1223)明全とともに博多から南宋に渡って諸山を巡る。
安貞元年(1227)帰国。
寛元元年(1243)越前国の地頭波多野義重の招きで越前志比荘に移転。


永平寺正門

正門には、「杓底一残水」「汲流千億人」としるされている。
道元禅師は、柄杓で汲んだ水で手を洗い、そして、柄杓の底に残った水を川へ還されたという。永平寺の境内には川が流れ、水が豊富である。そのいくらでもある水でさえ粗末にしてはいけない、大切にするようにと道元禅師は教えられたという。


永平寺 龍門


永平寺 勅使門


永平寺 七堂伽藍

僧侶が修行をする建物を「伽藍」と呼ぶ。
禅宗寺院では「法堂・仏殿・僧堂・庫院・山門・東司・浴室」を「七堂伽藍」と云う。
中でも「僧堂・東司・浴室」を「三黙道場」と云う。
「東司」とは、「手洗い」のことで正面に「烏枢沙摩明王」が祀られている。


傘松閤

156畳敷の大広間。天井には230枚の「天井絵」。その中に、花鳥ではない絵が五枚(阿形の青い唐獅子・吽形の白い唐獅子・リス・夫婦の白い鯉・黒い鯉)あるそうです。正面左には第80世貫首 南澤道人(みなみさわどうにん)老師の肖像画。


山門

寛延2年(1749)築。五間三戸の中国唐時代様式の楼閣門で、両側には仏教の守護神である四天王を祀られている。階上には釈迦如来像、五百羅漢などが安置されています。
修行僧が永平寺に入門願いをする際、禅問答が行なわれる場所。
山門の右には「家庭厳峻 不容陸老従真門入」の文字。左には「鎖鑰放閑 遮莫善財進一歩来」の文字。
「どのような社会的地位のある人でも仏を求める心が無ければ、この門より入ることは許さない。」「そうであるが、鍵はかからず扉もない、入り口は常に解き放れている、善財童子のような道心があればいつでも、入ることができる」「ここより先は厳しい出家修行の道場であり、求道心の在る者のみ門をくぐることが許される」という意味のようです。


白山水
白山連峰に連なる湧き水。御開祖道元禅師の真前にお供えする霊水、また、写経の時にも用いられるそうです。

承陽殿
永平寺の祖廟。道元禅師・二祖懐弉禅師・三祖義介禅師・四祖義演禅師・五祖義雲禅師の五大尊の尊像が安置されている。また、歴代住持の位牌や開基である波多野義重公の木像、道元禅師の生家である久我家の位牌が祀られている。


玲瀧の滝

玲瓏(れいろう)・・・金属や玉などが、透き通るように、美しいことを意味します。


寂光苑・舎利塔

寂光苑

寂光とは、日本語で「安らかで、静かな光」のこと。石碑には、「仏の光に照らされた静寂光の浄土、心安らかな苑の意」と書かれています。寂光苑には、大きな鐘があって、誰でもつくことができます。

舎利塔

永平寺の歴代の住職のお墓があります。