ヌスビトハギ

蝶が気持ちよさそうでした。
牧野富太郎さんの説によると、古来の泥棒は足音を立てないように、足裏の外側だけを地面に着けて歩いた。果実が、その時の足跡に似ているという…見たことがないので、何とも言えません (^^♪

アレチヌスビトハギ
ヌスビトハギ

秋の中池見湿地 September, 2019

お弁当とカメラを持って敦賀市にある中池見湿地へ  >^_^<
中池見湿地は、2012年にラムサール条約湿地に登録されたところ。
すぐ近くに北陸新幹線が通るらしく、工事が始まっていました。自然にあふれた環境が守られますように…
いつもは、本当に静かなところなのですが、近くの小学生が見学に来ていて、とてもにぎやか。きちんと挨拶ができる、可愛らしい子どもたちでした (^^♪


ミズアオイ

ツリガネニンジン

オオジシバリ
オオジシバリ
オオジシバリ

クサギ
クサギ

ノギク
野菊

ヒメムカシヨモギ
ヒメムカシヨモギ

アレチヌスビトハギ
アレチヌスビトハギ
アレチヌスビトハギ

ミゾソバ
ミゾソバ
ミゾソバ

オトコエシ
オトコエシ

キツネノマゴ
キツネノマゴ

イヌタデ
イヌタデ

キセルアザミ
キセルアザミ
キセルアザミ

エノコログサ
エノコログサ

オモダカ
オモダカ

ツリガネニンジン
ツリガネニンジン
ツリガネニンジン

サワヒヨドリ
サワヒヨドリ

ゲンノショウコ
ゲンノショウコ

 

沢桔梗

沢桔梗、桔梗も、そろそろおわり…また、来年 >^_^<

沢桔梗 / 吾亦紅 / 秋海棠 / 桔梗
沢桔梗 / 吾亦紅 / 秋海棠 / 桔梗

 

 

若狭彦神社・若狭姫神社 September, 2019

玉造る若狭の國の國なかに神代の神を拝むけふ哉 柳田國男

とこしえに並いていますわかさ彦わかさ姫こそうらやましけれ 柳田國男

若狭彦神社は、若狭一の宮。海幸彦が祀られています。海幸彦のお母さんはコノハナサクヤヒメ。奈良時代、霊亀元年(715年)鎮座の古社です。

若狭姫神社は若狭彦神社の下社。御両宮とも後ろに山を負い、前には音無川の清流が流れています。

海幸彦の母は木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)、父は天照大神の孫であるニニギノミコト。

ニニギノミコトと、笠沙の岬でコノハナサクヤヒメに出逢い求婚します。コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミはそれを喜び、姉のイワナガヒメと共にニニギノミコトに差し出しますが、ニニギノミコトはイワナガヒメを送り返し、美しいコノハナノサクヤヒメと結婚します。オオヤマツミはこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすればニニギノミコトの命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤヒメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。コノハナノサクヤヒメだけと結婚すれば、ニニギノミコトの命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げたという神話があります。

若狭姫神社
若狭彦神社

里坊 旧竹林院 September, 2019

旧竹林院 大津市坂本

大津市坂本は、延暦寺、日吉大社の門前町として栄えた町。延暦寺の僧侶の隠居所である里坊が並ぶ。旧竹林院はその里坊のひとつ。八王子山を借景に、滝組と築山が配された庭に佇むと、時を忘れてしまいそう。できることなら、四季折々に訪れてみたいと思ってしまう。

堅田の落雁 September, 2019

「堅田の落雁」として有名な浮御堂。
竜宮造りの山門をぬけると琵琶湖が眼前に広がる。対岸には、東に伊吹山、長命寺山、三上山、沖島、西に比良連峰、比叡山と近江の山々が並び、琵琶湖大橋の姿も美しい。
浮御堂は臨済宗の禅寺で、「海門山満月寺」が正式な名称。平安時代、恵心僧都が湖上安全と衆生済度を祈願して建立したとのこと。浮御堂内には「千体仏」が安置されている。
境内には、いくつかの句碑を散見され、散策も愉しかった。

比良三上雪さしわたせ鷺の橋 松尾芭蕉
鎖あけて月さし入れよ浮み堂 松尾芭蕉
湖もこの辺にして鳥渡る   髙浜虚子
病雁も残らで春の渚かな   高桑蘭更
五月雨の雨だればかり浮御堂 阿波野青畝

浮御堂

義仲寺 September, 2019

今年の秋の吟行は、義仲寺 (#^^#)

義仲寺

源義仲を葬った塚のある義仲寺。門を潜ると左奥に松尾芭蕉の墓と並んで木曽義仲の供養塔が立っている。

木曽殿と背中合わせの寒さかな 又玄

木曽義仲

朝日将軍 木曽義仲は信濃で挙兵、1183年に平氏を討伐。しかし翌年、源頼朝の命を受けた源範頼と源義経との戦いに敗れ、近江国粟津で討ち死にする。享年31歳であった。
義仲の側室巴御前は、無名の尼僧となりこの地に草庵を立て、供養を続けた。草庵の名は「無名庵」。室町末期、荒廃したこの草庵を、近江守護 佐々木六角氏が再建。これが義仲寺である。

松尾芭蕉

悪名も残る木曽義仲だが、芭蕉は、義と情に厚く清廉な義仲の生き様に魅かれ、義仲寺をよく訪れていたらしい。
芭蕉は、1694年(元禄7年)10月12日、御堂筋の旅宿「花屋仁左衛門」で永眠。享年51歳。芭蕉は、「骸は木曽塚に送るべし」と遺言していたという。芭蕉の遺骸は義仲寺に運ばれ、葬儀が行われたのは10月14日であった。
芭蕉の忌日は「時雨忌」と呼ばれ、ここ義仲寺で、毎年11月第二土曜日に法要が営まれている。

義仲寺 木曽殿と背中合わせの寒さかな 又玄



芭蕉

義仲寺の境内に入ると松尾芭蕉の俳号でもある芭蕉があちこちに。

この寺は庭一盃の芭蕉かな 芭蕉

芭蕉の英名はジャパニーズ・バナナ。なるほどバナナのような葉が美しい。

義仲寺 芭蕉


無名庵

義仲寺 無名庵

無名庵

昭和51年に拡張新造された。事前に予約を入れれば一般の人でも句会や文化活動の場所として利用することができる。戸を開けると椿の実が活けられていた。
この日は、ここで仕出しの弁当をいただいた後、のんびり境内の散策と句会を愉しんだ。

義仲寺 無名庵

義仲寺は湖明りなり若葉雨 司馬遼太郎


句碑


義仲寺