「私は九歳で若狭を出た。今では東京で暮らす人間の一人だが、瞼の壁に消え去らない若狭を、主観的に書きとめておくことも、あるいは私のつとめなのかもしれないと思って、この文を書く気持ちになったのである。」とあとがきにある。
水上は、本郷村(現 福井県 おおい町)の生まれ。9歳の時、京都に住む伯父の元に送られ、相国寺の塔頭のひとつ瑞俊院の小僧となる。その後の経歴は省略するが、「雁の寺」、「金閣炎上」、「飢餓海峡」、「越前竹人形」等々数多くの作品を残している。
さて、若狭は古刹が多く風光明媚な地。穏やかな風土に恵まれた地域だけれど、「原発銀座」というあまりありがたくない名で呼ばれることもある。本書の発刊は昭和43年。敦賀市白木地区に高速増殖炉「もんじゅ」が建設されることになったのは、その2年後、昭和45年のこと。
本書は、水上の若狭紀行と共に、発刊当時の若狭地方の写真が数多く収められている。モノクロームで撮られた春夏秋冬の景は、随分昔に見た記憶が懐かしい若狭の風景。何回も訪れている所もあれば、一度訪れてからもう数十年もたってしまっている所、まだ一度も訪れたことがない所もあり、本書をたのしんだ。
本書が発刊されてから50年。読後、この書に描かれている若狭の風景と現在の若狭の風景を見比べてみたいという気持ちがふつふつと起こり、暇を見つけては、若狭路をまわっている今日この頃。