
ヤブラン

田烏海岸を散歩していたら出会いました (#^^#)
葉が臭います。花は白く、がくは赤く、実は青く、いろいろな表情がたのしめます。
かつての花街、三丁町の中でも大きな料亭であった蓬嶋楼(ほうとうろう)を見学してきました。
お茶屋には厨房が無く仕出し屋から料理を取り寄せますが、料亭には厨房があり、店で調理した料理を提供すると伺いました。
小浜の城下町は、東組、中組、西組の三地区に分かれていました。三丁町のある界隈は西組になります。西組には、商家町、茶屋町、寺町があり、旧丹後街道に沿って、当時の風情を残す町並みを見ることができます。茶屋町通りには、茶屋建築の千本格子、二階の縁や出窓を持つ建造物が今でも残されています。
明治時代に造営された建物は当時のままにのこされており、細部にわたって贅を尽くし造りや調度品には目を惹くばかりでした。
塀を潜ると石灯籠のある前庭と丸窓があり、玄関にあがることになります。
主室は二階にあり、二間続きの座敷には三日月、次の間には満月を配した床があります。弁柄色の壁に、床柱がない床は、いかにも非日常の空間となっています。隠し部屋もあるということですが、ここは拝見できませんでした。
一階奥には、二十畳の大広間があります。廊下と広間をつなぐ鴨居は一本の檜木でつくられているというから驚きです。テーブルはトチの一枚板、縁はナラの木が使われています。
蓬嶋楼への為書が見受けられました。
三丁町の通りの家々には奈良市奈良町に行くとみられる「身代わり申」が吊るされています。庚申の日は六十日毎に訪れる厄日。家の中に災難が入ってこないように魔除けとして家の軒先に「身代わり猿」を吊るしたのがことの始まりのようです。三丁町には、江戸時代に寄進されたという庚申堂があります。
山法師の実は食べることができて、ジャムなんかもつくれるようですが、やっと三つ目の実です。眺めてたのしむことにします (#^^#).