土御門総社 夏越の祓いと八朔

六月三十日、全国各地で夏越の祓いが行われますが、ここ若狭國名田庄では、八月一日に八朔の儀と共に行われます。八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦の8月1日のこと。田の実節句(たのみのせっく)とも言われています。
一度、お参りしたいと思っていた儀式。
昨日は日曜日ということもあってやっとお参りすることができました。昨年、今年と、コロナ禍のこともあり、誰一人として儀式への案内を出さなかったとのことです。
参拝の方は二十名ほど。お越しの方の車のナンバーを見ると、久留米、習志野、大阪、福山と、ずいぶん遠方からのお参りの方が多いのに驚きました。通常は、天社のある天壇での実施されるようですが、今年は事情により本殿屋内での斎行でした。

儀式は小一時間ほど。護摩がたかれ、参拝者全員人形のお祓い、玉串奉天、御神酒をいただき儀式は終了。その後、社までの石段を登り、茅の輪をくぐってきました。
天壇のある天社宮泰山府君社は、土御門家の屋敷跡に建立されていると伺いました。



五色の紙垂

天社宮正面の注連縄の五色の紙垂は五行を表しています。
五行とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想。万物は木・火・土・金・水の五種類の元素からなるという。五種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在します。


太一

本殿正面奥が祭壇の間「天社宮」。奥座の梁には「太一」の額、これは伊勢内宮禰宜様の書。太一(たいいつ)とは古代中国における宇宙の根元を表す哲学的概念、または天の中心に位置する星官(星座)、またはその神格のことだそうです。



天壇

石段を上がり、右手に天壇があります。天壇は、四色の鳥居が四方を囲まれています。玄武・・・北の守護神、朱雀・・・南の守護神、白虎・・・西の守護神、青龍・・・東の守護神。
磁石による方位でなく、この方角を北と決めればそこが北になるとのことです。


外典祈祷管領の認状ならびに領地安堵の認可状

應永十三年は、西暦1406年。足利義満の時代です。左中将は、左近衛中将のこと。令外を司る左近衛府の次官です。内典は仏教を指し、外典は仏教以外を意味します。


祭儀場の図


祭儀場の図は梅小路土御門邸でおこなわれた天冑地府祭と晴明公850年祭の図。


葛の葉稲荷神社

安倍晴明の母とされる「葛の葉」を祀る社。
土御門家が名田庄に在住の頃、この地に社を建て、葛の葉姫大明神として祀りました。土御門家が再び京へ戻ることになった際、社も京都唐橋の新邸内に移されます。
やがて、明治となり、都は東京へ。土御門家も東京へ移住することになり、社は、京都の邸内から東京青山の新邸内に移されます。しかし、東京大空襲により、本殿は消失してしまいます。葛の葉の御魂は再び、名田庄の地で祀られ、現在に至っています。



斎行が終了してのご挨拶・・・槍のお話でした。
いろいろなことがあっても「やりきれない。」と弱音をこぼすことなかれ。
「槍は切れない。槍は突くもの。」あたりまえのことを言ってどうする。
いろいろと身の回りにおこることに愚痴をこぼしても仕方がないことですよ。・・・と言うようなことを話されていました。