ドライブ・マイ・カー

話題の映画「ドライブ・マイ・カー」を観てきました。原作は村上春樹さん。原作の映画化というよりは、原作を土台とした物語といった印象。上映時間は三時間に及びますが、緊張の糸が切れない筋立てとタイトなつくり。カンヌ国際映画祭 脚本賞受賞というのも頷けます。

物語の主人公 家福(西島秀俊)は、俳優であり演出家。映画の冒頭場面ではサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」、そして、アントン・チェーホフの「ワーニャ伯父さん」の舞台稽古が核となり物語は進んでいきます。
映画の終盤 「ワーニャ伯父さん」舞台の場面、ソーニャの言葉が、本作「ドライブ・マイ・カー」のメッセージとオーバーラップするかのようです。切なく、喪失感にとらわれてしまっても人は生きていかなければならないというメッセージ。
主人公 家福の愛車は、スゥエーデンの名車 SAABサーブ900。素敵な舞台回しになっています。映画前半部の家福(西島秀俊)と妻(霧島れいか)が語り合う言葉は、魅入られてしまうような不思議な響き。ドライバー(三浦透子)のことは、ここでは触れないでおきましょう。観てのお楽しみ。
余計なお世話かもしれませんが、お独りで鑑賞されるのがいいように思った映画でした。

アントン・チェーホフ「ワーニャ伯父さん」第4幕 ソーニャがワーニャ伯父さんに語るセリフです。

・・・でも、仕方がないわ、生きていかなければ!ね、ワーニャ伯父さん、生きていきましょうよ。長いはてしないその日その日を、いつ明けるとも知れない夜また夜を、じっと生き通していきましょうね。運命がわたしたちにくだす試みを、辛抱づよく、じっとこらえて行きましょうね。今のうちも、やがて年をとってからも、片時も休まずに、人のために働きましょうね。そして、やがてそのときが来たら、素直に死んでいきましょうね。あの世へ行ったら、どんなに私たちが苦しかったか、どんなに涙を流したか、どんなに辛い一生を送って来たか、それを残らず申し上げましょうね。すると神様は、まあ気の毒に、と思ってくださる。その時こそ伯父さん、ねえ伯父さん、あなたにも私にも、明るいすばらしい、なんとも言えない生活がひらけて、まあ嬉しい!と思わず声をあげるのよ。そして現在の不仕合せな暮しを、なつかしく、ほほえましく振返って、私たち――ほっと息がつけるんだわ。わたし、ほんとにそう思うの、伯父さん。心底から、燃えるように、焼けつくように、私そう思うの……。ほっと息がつけるんだわ。
その時、私たちの耳には、神様の御使たちの声がひびいて、空一面きらきらしたダイヤモンドでいっぱいになる。そして、私たちの見ている前で、この世の中の悪いものがみんな、私たちの悩みも、苦しみも、残らずみんな――世界中に満ちひろがる神様の大きなお慈悲の中に、呑みこまれてしまうの。そこでやっと、私たちの生活は、まるでお母さまがやさしく撫でてくださるような、静かなうっとりするような、ほんとに楽しいものになるのだわ。私そう思うの、どうしてもそう思うの……。
お気の毒なワーニャ伯父さん、いけないわ、泣いていらっしゃるのね。あなたは一生涯、嬉しいことも楽しいことも、ついぞ知らずにいらしたのねえ。でも、ワーニャ伯父さん、もう暫くの辛抱よ。……やがて、息がつけるんだわ。……ほっと息がつけるんだわ!・・・(新潮文庫 神西清訳)