谷中、花と墓地  E.G.サイデンステッカー

独りでの花見はたいてい谷中に決まっていた。どの国においても、墓地は美しい。東京の墓地も例に漏れない。上野のれん会のタウン誌「うえの」に掲載されていたサイデンステッカーさんの随筆集。図書館で借りて読んだのだけれど、読後、手元に置いておきたいと思った一冊。読んでいて、文章がとても心地よいのです。著者は、定年後、アメリカと日本を半年ずつ住む暮らしを続けていたとのこと。東京で暮らすのは梅の花の初春から花菖蒲の咲く初夏まで。日本の春の花々をたのしみたいというのがその理由のよう。まったく、読んでいると著者といっしょに花を愛でながら東京の下町を散策しているような気分になります。ほんとうのところ、東京の下町をゆっくり歩いたという経験はなく、せめて一週間ほど滞在して、随筆の場所を訪れてみたいと思いました。できれば春に。失われつつある日本の文化への警鐘もあり、幾度となく読み返したい書です。

「小津映画」の章より
・・・ところで、小津の映画に出てくる人物たちはみな行儀が良い。というのは、単に礼儀作法が良いということではない。役に応じたそれぞれの人物たちの控え目な会話やしぐさの中に、人間的な温もりを感じられるということである。それは小津が創り出した虚構の人物では決してない。映画の背景を支えている日本文化が持っていた本来の美質だ。 
最近の日本は「国際化」という意味不明な掛け声に埋もれているが、その一方で、世界が認めているはずの大切な文化がどんどん壊されているのだから皮肉な話である。国際的であるためには、確立された自国の豊かな文化をまず身に纏うことである。己の土台をないがしろにして他に認めてもらうことはできない。・・・