加藤登紀子さん & キエフ October 9th, 2022

「ようこそいらっしゃいました。先ほど登紀子のリハーサルを見ていましたら、元気に歌っていました。後で出てきてくれると思います。コンサートの前に、ここはレストランですので、腹ごしらえをしていただいて… グラスワインを一杯サービスでお付けしますが、足りない方はコンサートに支障のない範囲でお申しつけください」と、加藤幹雄さんのご挨拶。上品で素敵な方でした。

ジョージアの何とか言うワインを追加でお願いして、ポーランドのウォッカ ズブロフカもドリンクメニューにあったのですが、これを飲むと後で大いに支障をきたしそうなので、自重。
加藤登紀子さんの弾き語りによるコンサートは、「回帰舟」(1976年発売)からの数曲で始まりました。「あなたの行く朝」はとても好きな一曲。
東北大震災、ウクライナの戦火の中で生きる人々への思いを寄せる曲の数々で構成されたコンサートでした。

第二次大戦後、満州から逃れてきた多くの日本人の中に加藤家のご家族もいらしたのですが、明日の命もわからないという状況の中、「今日生きていられるって、幸せよ」と明るく語っておられたという加藤登紀子さんの母のこと、ご主人藤本敏夫さんとの思い出、家族の話など、歌と共にいいお話を聞かせていただきました。

「ウクライナの人たちは、きっとたくましく立ち上がって生きてくれるでしょう」の言葉は重みのある力強いエール。暗いニュースが続く中、鼓舞された思いです。
ウクライナ支援のためにつくられた加藤登紀子さんのアルバム「果てなき大地の上に」を購入しましたが、とても素敵な曲の構成、アレンジの一枚です。

大原 「熊谷 鉈捨藪跡」

大原三千院の門を右手に直進し、津川の橋を渡るとはやがて勝林院にいたります。

勝林院は、「大原問答」が行われた寺院。文治二年(1186)、比叡山、東大寺の高僧やその弟子があつまり、法然と浄土念仏の教理について問答しました。法然は、どのような難問にも経典の根拠を挙げて理路整然と論破したと伝えられています。

さて、津川にかかる橋の手前に、「熊谷 鉈捨藪跡」の文字を刻んだ石碑があります。説明によると、法然上人の弟子の熊谷直実(蓮生坊)は、「師の法然上人が論議にもし敗れたならば法敵を討たん。」と袖に鉈を隠し持っていたのですが、法然上人に諭されて鉈を藪に投げ捨てた場所ということです。

熊谷直実が法然の弟子になったのは、建久三年(1192)以後のことなので、直実が法然上人のお供をしたというのは、史実にあいません。どうやら、伝説の史跡のようです。

大原 鉈捨藪跡

古知谷阿弥陀寺 秋海棠

今日は古知谷阿弥陀寺へ。秋海棠が楽しみ。早朝、七時発、阿弥陀寺山門の駐車場へ八時着。ここからの坂道がけっこうキツイ。休み休み、登っていくと、やがて実相の滝と樹齢八百年という楓の木が見え始めます。参拝は午前九時からとのことなので、滝を見ながら一休み。

秋海棠は見事でした。帰り、受付の窓口で「ここの紅葉はいつごろですか」と尋ねると、「山門の付近は十一月初め、この辺りは十一月中頃が例年、見頃なのですが、いつもなら八月の末から咲き始める秋海棠が、今年は八月初旬から咲き始めていたので、たしかなことは言えないです。十一月初めころ、お電話くだされば、紅葉の状況をお伝えしますよ」と親切な言葉をいただきました。

十一月に再訪です。

古知谷阿弥陀寺

古知谷阿弥陀寺は、大原三千院付近から鯖街道(国道367号)を2kmほど北に進んだところにあります。
鯖街道より、わき道に入ると、ほどなく中国風の山門が見えてきます。山門横に車を止め、庫裡へ徒歩で向かうことにしました。地図上では650mほどの距離だったので難なく行けるだろうと思ったのが大間違い、行くほどに坂は急こう配になっていきます。やがて、参道左手に滝が見え、足を進めると樹齢800余年という楓の木が参道を覆うように青葉を繁らせていました。

阿弥陀寺は浄土宗の寺院で、山号は光明山。慶長14年(1609)、弾誓(たんぜい)上人が開山した念仏道場です。弾誓上人は、開山から4年後、体質を樹脂化したうえで自ら石棺に入り即身仏となったと伝えられています。
本堂には、弾誓上人の自らの髪を植えた自作の像が阿弥陀如来とともに安置されています。

手入れが行き届いた境内の庭には、季節の花々が美しく咲いていました。紅葉の頃、再訪することにして、花脊に向かいました。

花脊の蕎麦

立夏。いつかはと思っていた花脊へ。

花脊の名の由来は、花の都京都の北の背骨に位置するからだとか、花の美しい北山の懐にあるので「花の背」と呼ばれたからだとか、諸説あるようです。

目指すは「洛北花せ屋」さん。雪の多い12月~3月は休業。営業は土・日・祝日のみ。

「ここまで来ていただいて大変申し訳ないですが、麺がなくなってから来られたお客様には帰っていただくこともあります・・・」とのお店の方のお話。

「ここまで来て・・・」と思わず言ってしまいそうになりました。何しろここまで来るのがひと苦労。大原から鞍馬街道に入り登ってきたのですが、場所によっては車のすれ違いが難しい道幅、ヘアピンカーブ、誤って道を外せば転がり落ちそうな坂道が続きます。この先に蕎麦屋さんが本当にあるのかしらと思ったほど。予約しておいてよかった (#^^#)

京都市北部、花脊高原にある旧花背村。かつての若狭街道は鞍馬からこの地を経て小浜に向かいました。四方を山林に囲まれた美しい光景が広がる山里のお蕎麦屋さん。以前は道路を挟んだところにある古民家「花竹庵」で営業されていたのですが、現在ここは休業中。

品書きには、花背そば・山椒おろし・胡麻味そば・山かけそば・味噌そば。あたたかい汁は蕎麦の風味と腰をそこねるということで、どのお蕎麦も冷味の仕上げ。

せっかくなので、花脊そばと胡麻味そばを基本に、山かけそばか味噌そばのどちらかを選ぶそば三昧(甘味つき)を注文(#^^#)

「蕎麦の実」を茹でた蕎麦粥と漬け物をいただきながら蕎麦を待ちます。

極細麺のお蕎麦がいいお味、ここまで来た甲斐がありました。味噌そばは初めて食べましたが、なかなかに美味、次回も外せません。工房で作っている箸置きとひざ掛け用の手ぬぐいはお持ち帰りくださいと嬉しいお土産付きでした。 小知谷阿弥陀寺に途中寄ったので、大原からの登ってきたのですが、帰りは鞍馬寺へ降りる道を選びました。鞍馬寺の辺りは流石連休、混雑していました。静原を通り新緑の寂光院をお参りしてから帰宅。小知谷阿弥陀寺は初めてでしたがよかったです。



月桂冠 大倉記念館

四条から京阪電車に揺られること20分。伏見桃山駅で下車。しばらく歩くと酒蔵の街並みが見え始めます。

伏見は、天然の良水に恵まれた土地。灘の宮水がしっかりした硬水なのに対し、伏見の伏水はまろやかな中硬水。柔らかい水から造られる優しく芳醇なお酒は「女酒」と呼ばれ、灘の「男酒」とはまた違った魅力。思いつくだけでも、黄桜・金鵄正宗・月桂冠・松竹梅・玉乃光・月の桂などなど、飲んでみたい銘酒ばかり。

月桂冠大倉記念館は、寛永14年(1637)、徳川三代将軍徳川家光の時代に創業した「月桂冠」の歴史と明治時代の酒蔵が再現された博物館です。試飲されますかと受付で聞かれ、帰り運転なのでと言うと、それならお家でどうぞとワンカップを2本もいただいて、すっかり嬉しくなってしまいました。
記念館近くの宇治川派流 濠川のほとりは、十石船の船着き場。白壁土蔵の酒蔵が並び、江戸時代の風情溢れる街並みが広がります。

御香宮神社、明治天皇の伏見桃山陵も行きたかったけれど、時間切れ。途中、東寺の桜を見てから帰路につくことにしました。「伏水酒蔵小路」では伏見17蔵のお酒を飲み比べができると伺い、次回は、是非とも一泊で着たいところです。

都をどり  「泰平祈令和花模様」全八景  

「都をどり」に行ってきました。祇園甲部歌舞練場が耐震対策改修中のため南座での開催。改装された南座には、まだ行ったことがなかったのでそれも楽しみ。
令和になってから、コロナ禍のため開催が見合されていたので、令和の御代はじめての「都をどり」ということでした。

「ヨーイヤサー」の掛け声で幕が上がります。祇園甲部の芸妓・舞妓さんたちによる京舞は、四季折々の名所旧跡の景観を再現。爛漫の春、夏、錦秋の秋、深雪の冬、そして再びの春の花見で幕を閉じます。舞台右手に並ぶ長唄の方々、左手に並ぶ囃子の方々も素敵でした。
総をどりの衣装は京友禅と西陣織の匠の手による逸品で、毎年新作を誂えるということです。

公演時間は一時間。公演後、「祇園おめん」でつけ麺をいただき、伏見に向かうことにしました。