「あれから七十年巡りくる八月」

幼馴染みの父上から「あれから七十年巡りくる八月」と題した冊子をいただきました。

「昭和二十年四月、勤労奉仕隊員として満州東寧報国農場で作業に従事するため渡満。同年八月九日未明、ソ連軍の突然の侵攻により捕虜となる。捕虜収容所での抑留生活を経て帰国。」
までの体験談が、平明端正な文章で綴られています。

あとがきを紹介します・・・

「戦争中は何もかも物資不足で、ほしがりません勝まではの合言葉に皆辛抱をしてきた。また、米英鬼畜の教育で、小学校にあった日本とアメリカの友好のシンボルであった青い目の可愛らしい人形まで、先生の指導で、竹槍で突き、滅茶苦茶にこわしたこともあった。最後は神風が吹き、日本は絶対に勝つが先生の口癖教育であった。そして、戦時訓で、日本は絶対に降伏してはならない。捕虜になれば恥だと教えられ、各戦地において、多くの日本兵は玉砕や自決をせざるを得なかったのであろう。せめて半年早く降伏しておれば特攻や沖縄戦もなかったであろうし、もう十日早く降伏しておれば原爆もソ連の満州侵攻もなかっただろうと思うと、時の政府か軍部のやり方か知らないが、未だ何とも腑に落ちない。 <中略> ここに記した事は、若き日に満州で体験した事の一部であるが、若い方々には、今の平和な日本においてそれらの事がイメージできないかもしれない。然し、戦争の愚かさ、平和の大切さを、ここから少しでも身近に感じていただくことができたなら、私にとっては、思い出したくもない事ながら書いた甲斐があると思う。」