蕗の薹や土筆を見つけると、春だなぁ~と思ってしまいます >^_^<
雪柳
ユキヤナギ・ヒマラヤユキノシタ・梅の古木
アンズの花
ゲンカイツツジ
クロッカス
水仙
鯖サンド
サバサンド
鯖街道 熊川宿にあるSaba Cafeで久しぶりにランチ。
サバサンドをいただきました。ハーフサイズがメニューに加わっていました。
もともとサバ サンドは、トルコ・イスタンブールのフェリーの船着き場で親しまれている名物料理とネットで知りましたが、サバ・カフェのサバ・サンドもやみつきになる美味しさです >^_^<
鯖街道ぶらりぶらりと春の風
「京は遠ても十八里」という言葉があるように、若狭湾で取れた鯖は、行商人に担がれ徒歩で京都に運ばれていました。
平城宮跡や明日香村の都跡で発掘された木簡から、鯖街道の起源は約1200~1300年前と推定され、鯖だけでなく、いろいろな物品が奈良・京都へ運ばれていたようです。(藤原宮跡から出土した木簡からは塩の荷札も見つかっています。)
若狭(小浜藩)と京を結ぶ街道はいくつかあり、それらすべてを鯖街道とよんでいましたが、そのうち最もよく利用されたのが小浜市から熊川宿、朽木村(現 滋賀県高島市)を経て、京都の出町柳に至る街道であったということです。
ユキワリイチゲ
カタクリ
同志社大学と新島旧邸 March, 2019
良心の碑…「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」
新島襄の旧邸を見学。
外観は何度となく見に行ったことがあったのですが、内部を見せていただくことができる特別公開日に行くのは初めてでした。
この日は、おりしも卒業式。大学のキャンパスはとても華やかでした。
同志社大学
有終館…当初は「書籍館」と呼ばれていた同志社最初の図書館。D.C.グリーンの設計により1887年11月に竣工。図書館の役目を終えた際に、時の海老名弾正第8代同志社総長が「有終館」と名付けました。
クラーク記念館…B.W.クラーク夫妻からの寄付によって建てられ、1894年1月30日に開館。
同志社礼拝堂…D.C.グリーンによる設計で、1886年6月に竣工したプロテスタントのレンガ造チャペルとしては日本に現存する最古の建物です。
同志社徽章…正三角形を3つ寄せたもので、国あるいは土を意味するアッシリア文字「ムツウ」を図案化したもの。知・徳・体の三位一体あるいは調和をめざす同志社の教育理念をあらわしています。考案者は湯浅半月。
スクールカラーは、ロイヤル・パープルと白の2色。創立者新島襄の母校、アーモスト大学のスクールカラーでもあります。
新島 襄旧邸
1875年11月29日、新島襄は、高松邸(高松保実所有)の半分を賃借し、生徒8名で同志社英学校を開校しました。
翌年、同志社英学校は旧薩摩藩邸跡地に移ります。これに合わせ、新島は高松邸を購入し、自宅を建築しました。和に洋を取り入れた大変モダンなつくりの邸宅です。
新島は、亡くなるまでの十年間、妻の新島八重さんとこの邸宅で過ごしました。また、新島は、年老いた両親のために附属屋を建築しています。附属屋は、江戸藩邸にあった住居に準じた和風の造りとなっています。
老朽化から一階部分のみの見学が許されていました。
新島旧邸 外観
新島旧邸 書斎…整理整頓好きな新島の書斎はいつも整然としていました。
蔵書のほとんどは洋書。同志社の学生たちは図書室のように自由に利用していたということです。
応接間…当時としては画期的なセントラル・ヒーティングが設置されていました。
応接間には、勝海舟による六然の書があります。
- 『自処超然』自分を絶えず突き放し眺めること。
- 『処人藹然』人と接するときは和やかな気持ちでということ。
- 『有事斬然』何か事があるときは、ぐずぐずしないできびきびとやること 。
- 『無事澄然』何も事がないときは、水のように澄んだ気でいること。
- 『得意澹然』物事が上手くいって得意な気分のときは、努めて淡々とした態度を示すこと。
- 『失意泰然』 失意のときは、やせ我慢でいいからゆっくり落ち着いていること。
食堂…新島は洋食が好みで、洋風の料理に使う野菜などは庭で栽培していたということです。
新島八重の茶室…新島の死後、八重は1階洋室を改造して茶室にしました。
茶室の名前は「寂中庵」。八重の茶名は新島宗竹、裏千家13代家元千宗室に師事していました。
洋式トイレ…板張りの腰掛式トイレ。日本で初めての洋式トイレと伺いました。
新島 襄の墓
新島 襄は東山若王子山頂にある同志社墓地に埋葬されています。ここには、新島をはじめ、妻新島八重や山本覚馬、同志社関係の宣教師たちが眠っています。
新島は、明治23年(1890年)1月23日に神奈川県大磯で天に召されました。享年46歳。新島の遺体が京都に運ばれたのは4日後の1月27日。同志社チャペルでの葬儀が終わると、生徒たちが代わる代わる新島の棺を担ぎ、東山若王子まで運びました。