若狭一の宮 若狭彦神社

奈良時代、霊亀元年(715年)の鎮座。海幸山幸の神話で名高い彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと 海幸彦)が祀られています。
下社である若狭姫神社とともに平安時代の延喜式に名神大社として記載されている若狭の国きっての格式の高い古社です。

海幸彦の母は、木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)、父は天照大神の孫であるニニギノミコト。

ニニギノミコトと、笠沙の岬でコノハナサクヤヒメに出逢い求婚します。コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミはそれを喜び、姉のイワナガヒメと共にニニギノミコトに差し出しますが、ニニギノミコトはイワナガヒメを送り返し、美しいコノハナノサクヤヒメと結婚します。オオヤマツミはこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすればニニギノミコトの命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤヒメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。コノハナノサクヤヒメだけと結婚すれば、ニニギノミコトの命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げたという神話があります。

若狭彦神社