時危うくして偉人を思う

夜更けの公園で主人公が唄う「ゴンドラの唄」が印象に残る黒澤明監督作品「生きる」。

映画は以下のナレーションから始まります。
「・・・幽門部に胃ガンの兆候が見えるが、本人はまだそれを知らない。これがこの物語の主人公である。しかし今この男について語るのは退屈なだけだ。何故なら彼は時間を潰しているだけだからだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとは言えないからである。・・・実際この男は20年ほど前から死んでしまったのである。その以前には少しは生きていた。少しは仕事をしようとした事もある。しかし今やそういう意欲や情熱は少しもない。そんなものは役所の煩雑すぎる機構と、それが生み出す無意味な忙しさの中で、全く磨り減らしてしまったのである。・・・本当は何もしていない。この椅子を守る事以外は。そしてこの世界では地位を守るためには何もしないのが一番いいのだ。・・・」

市役所の市民課長 渡辺勘治は、自分が癌に冒されている事を知り、放浪のような二週間を送ります。

「人生の主人公になろうとするために人生楽しく生きることに貪欲になることが重要」という知人と行動を共にしますが、心は満たされません。

別の知人からは、「自分は息子のために耐えてきた。」という勘治の愚痴に、「息子のせいにしてるけど、それは自分で決めたことでしょう。」と言われ、返す言葉を失ってしまいます。

そんな中、「私はただ毎日働いているだけ。課長さんも何かつくってみたら。」という言葉に、「自分にもできることがある」と・・・
限られた時間の中、ようやく彼に輝くような生きる時間が返ってくるのです。

「時危うくして偉人を思う」という言葉があります。
偉人とは、立派な地位にある人という意味ではなく、一国の良心ともいうべき人のことであり、市井にあって良心にしたがい大地の塩となって力を尽くす人のことだと教えを受けたことを映画を観て思い出しました。

サラサモクレン

美しい木蓮だなぁと調べてみましたら、紫モクレンと白モクレンとの交雑種だということでした。

サラサモクレン