桂離宮 Marchl 2021


桂離宮 March 21st, 2021

春の嵐の中、雨天決行で桂離宮に行ってきました。
ここ数年、何回か参観申請していたのですが「抽選に外れました」の返事ばかりで、やっとこの日の参観許可が届いたのは昨年12月11日のこと。
コロナ感染症拡大防止のため人数制限されており、しかも春の嵐の予報もあってか、参観者は総勢8人。左手に傘、右手にカメラをもっての参観となりました。

桂離宮は、後陽成天皇の弟・八条の宮初代智仁親王(後水尾天皇の叔父)により、宮家の別荘として創建されました。元和元年(1615年)に造営が始まり、ほぼ現在の形になったのは寛文2年(1662年)ということですから、50年をかけての工事になります。多額の費用は、加賀百万石前田家からの寄進により賄われたということです。

当初は、桂山荘と呼ばれ、桂離宮と呼ぶようになったのは明治になってからのこと。火災に遭うことなく、創建時の姿が今に伝えられています。


住吉の松・御幸道・御幸門・表門

参観者入口より、御幸道を御幸門に向かって足をすすめると住吉の松が右手に見えます。衝立の松とも呼ばれ、池の景を微妙に隠しています。これからの散策心をそそる趣向。

御幸門までの御幸道は、小さな石を敷き並べて作られた霰零し(あられこぼし)という技法が用いられており、これは雨の日、雨や泥が跳ね客人の着物を汚さないためのものだとか。いたく実感 >^_^<

御幸門から表門までの道は表門に近づくにつれ狭くなるようにつくられており、遠近法の工夫がなされています。実際の距離よりも遠くに表門が見える趣向。


外腰掛

御幸道の中ほどを左へ、自然石が敷き詰められた草の延段を進み苑内に入ると茶室松琴亭の待合い腰掛があります。外腰掛は、茅葺寄棟造りの吹き放し。腰掛左にあるのは雪隠。
切り石と自然石を組み合わせた行の延段は松琴亭へと続きます。腰掛の対面は蘇鉄山になっており、蘇鉄は薩摩藩島津家の寄進とのこと。


松琴亭 

松琴亭は、桂離宮で最も格式の高い茅葺入母屋造りの茶室。一本の切り石を渡した橋を渡ると松琴亭に至ります。

松琴亭の名は
琴のねに峰の松風かよふらし いづれのをよりしらべそめけむ 斎宮女御徽子女王
の句から採られたとのこと。

州浜 天橋立 中書島(神仙島)

織部灯籠

古田織部が考案した灯籠。竿にキリスト像が彫られていることからキリシタン灯籠とも呼ばれています。


賞花亭

松琴亭より飛石を踏み、小高い丘に登ったところに賞花亭があります。茅葺切妻屋根を皮付きの柱が支えている瀟洒な造り。背面と側面に連子窓があり、山の風景が楽しめる趣向になっています。


園林堂

賞花亭より丘を下り橋を渡ったところに園林堂があります。本瓦葺宝形造りの屋根の持仏堂ですが、今は安置されているものはなく、建物だけがあるそうです。


笑意軒

園林堂より橋を渡ると田舎家風の茶室笑意軒にいたります。「笑意軒」の扁額は曼殊院良恕法親王の筆。
蹲踞(つくばい)には「浮月」の名がつけら、舟着場には三光燈籠が置かれています。


月波楼

月波楼は古書院に近い高みに立てられた茶亭。観月がここで行われたことでしょう。


書院 中門

中門から書院玄関に向けて切り石が配置された真の延段が続きます。
延段をたどり更に石段を上がると一枚石の大きな沓脱があります。六人の沓が並べられることから「六つの沓脱」と呼ばれています。


延段

自然石だけのものを「草の延段」・自然石と切石が取り混ぜられたものを「行の延段」・切石だけのものを「真の延段」・というそうです。これは書道の「草書」「行書」「楷書(真書)」に習ったもの。

草の延段 桂離宮
行の延段
真の延段  書院玄関 御輿寄
桂離宮 御幸道 あられこぼし