小浜市 常高寺の花菖蒲 June, 2020

花菖蒲

常高院墓所

常高院墓所(お初の方)

常高寺は、若狭領主、京極高次の妻お初の方の菩提寺です。お初の方の父は浅井長政、母は織田信長の妹お市の方。姉は豊臣秀吉の妻、淀君。妹は徳川二代将軍徳川秀忠の妻、小督の方。

お初の方は、京極高次の没後、小浜市後瀬山に常高寺を建立しその菩提を弔いました。常高院栄昌院(お初の方)も、寛永十年(1633)、六十七の歳に江戸で没し、この地に葬られています。常高院の墓は、七人の侍女と常高寺に得度した尼の墓に護られています。

常宮神社の桜 April, 2020

敦賀半島にある常宮神社。創建は、大宝三年(703年)。氣比神宮の祭神・仲哀天皇(第十四代天皇・ 日本武尊の二子)の妻である神功皇后が祀られています。

敦賀市 常宮神社

敦賀市 常宮神社




敦賀市 常宮神社

敦賀市 常宮神社


 

青井山高成寺界隈の桜 April, 2020

青井山高成寺

小浜市 高成寺

小浜市 高成寺

小浜市小浜公園を後瀬山のほうむ向かって歩いていくと、右手に高成寺の山門が端正な佇まいを見せています。
高成寺は、足利尊氏が国分寺の制にならい、全国に建立した安国寺のひとつです。 暦応2年(1339)建立の名刹です。


ソメイヨシノ


結桜

咲き始めは白色で徐々にピンクに染まっていく桜


 

鵜の瀬の桜

鵜の瀬は、小浜市に流れる遠敷川の中流にあり、三月二日に行われる「お水送り」の神事が行われるところです。白と黒の二羽の鵜が岩から飛び出し、香水のような甘い水が湧き出したとの言い伝えが名の由来のようです。

鵜の瀬 小浜市下根来

鵜の瀬から少し上流のほうに歩くと東側に白石神社があります。御祭神は若狭彦こと遠敷明神。

白石神社 小浜市下根来

遠敷明神は、魚釣りに熱中するあまり、東大寺の「修二会」の勧請に遅刻。そのお詫びとして十一面観音にお供えする閼伽水を送ることを約束しました。これが、若狭神宮寺「お水送り」、東大寺二月堂「お水取り」の神事の始まりと伝えられています。近くに群生している椿がとても綺麗です。

白石神社の椿

妙祐寺 枝垂れ桜 March, 2020

妙祐寺 枝垂れ桜

妙祐寺の枝垂れ桜が丁度見頃の時に行けたのは初めてのことでした。お天気もよく、青空に櫻が綺麗。
国道27号から湯岡橋を曲がり国道162号を南進して十数分、小浜市中居の交差点を右折。妙祐寺までの道はかなり狭く、対向車に出会うとヒヤヒヤです。
130年ほど前に、山梨県日蓮宗総本山久遠寺に参拝した檀家が苗木を持ち帰り植樹したという…高さ20m、幹回り2.5mの堂々たる一本桜です。





土御門総社・・・若狭國名田庄と安倍清明 February, 2020

土御門総社

陰陽師 安倍晴明で知られる安倍氏は、室町時代、家名として「土御門」を称するようになります。
安倍氏嫡流の土御門友宣は、応仁の戦乱から逃れるため、土御門家の所領であった若狭國名田庄に移住。以来、土御門有宣、有春、有脩の3代に渡る百二十年の間、名田庄に隠棲します。この間、陰陽頭として度々京都へ赴いていたようです。
土御門家は有脩の子である久脩の代に京都に戻り、さらに泰福の代に陰陽道宗家として全国の陰陽師を統括、陰陽寮で天文学や暦の作成を司ってきました。
明治三年、陰陽寮は廃止され、土御門家は天文学と造暦の権限を失いますが、陰陽道の系譜は、名田庄の地に本庁を置く「天社土御門神道」として残っています。

土御門総社

天社宮 泰山府君社 跡

土御門総社 天壇

四色の鳥居が四方を囲む天壇
玄武・・・北の守護神
朱雀・・・南の守護神
白虎・・・西の守護神
青龍・・・東の守護神


安倍清明の母を祀る「葛の葉稲荷神社」

恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉

葛の葉稲荷神社

村上天皇の時代、安倍野の住人安倍保名は、和泉の国 信太の森で狩人に追われていた白狐を助けます。その際、怪我を負ってしまった保名を、葛の葉と名のる女性が現れ介抱します。いつしか二人は恋仲となり、童子丸という子をもうけます。
幸せな暮らしが続きますが、童子丸が五歳になった時、葛の葉は保名に助けられた白狐であることが知れてしまいます。
葛の葉は、全ては稲荷大明神の仰せである事を告げ、信太の森へと帰ってゆきます。この童子丸が、陰陽師として知られる安倍晴明であると伝えられています。

この葛の葉を祀る神社が「葛の葉稲荷神社」です。
土御門家が名田庄に在住の頃、この地に社を建て、葛の葉姫大明神として祀りました。土御門家が再び京へ戻ることになった際、社も京都唐橋の新邸内に移されます。
やがて、明治となり、都は東京へ。土御門家も東京へ移住することになり、社は、京都の邸内から東京青山の新邸内に移されます。しかし、東京大空襲により、本殿は消失してしまいます。
葛の葉の御魂は再び、名田庄の地で祀られ、現在に至っています。

葛の葉稲荷神社


高成寺の椿

青井山高成寺
小浜市小浜公園を後瀬山のほうむ向かって歩いていくと、右手に高成寺の山門が端正な佇まいを見せています。
高成寺は、足利尊氏が国分寺の制にならい、全国に建立した安国寺のひとつです。 暦応2年(1339)建立の名刹です。

空印寺 八百比丘尼の椿 February, 2020

小浜市 空印寺

幕府大老 酒井忠勝候の菩提寺である空印寺は小浜市後瀬山の麓にある。空印寺には、八百比丘尼が入定したという洞窟があり、入口には椿が植えられている。

伝えられるところによると、その昔、小浜に住む長者の娘が、知らずして人魚の肉を食べ不老不死の身となってしまう。娘は、家族や親戚縁者が年老い亡くなっていく中で、不老不死の我が身を憂い仏門に入る。諸国遊行の末、故郷、若狭小浜に戻ったあと、即身成仏を願い入定したというのがこの洞窟である。
椿の花を愛した比丘尼は、洞窟の入り口に椿を植え、「この椿の花が枯れたら、私が死んだと思ってください」と言い残し、洞窟の中に入ったという。
他にも、この洞窟には不思議な話が残されていて、空印寺の住職が洞窟の奥へと入っていったところ、京都丹波の山中に出てしまったというのである。
残念なことに、数十年前、近くで行われた鉄道工事の際、洞窟は落盤。数メートル進んだところで通路が塞がってしまい、もはや確かめるすべがない。

高校生の頃、それでも興味があって友達とこの洞窟に入ったことがあるのだけれど、久しぶりに訪れたら、洞窟の前に、「危険なため立ち入り禁止」の看板が置かれていた。

敦賀半島 常宮神社の梅 February, 2020

いつもなら、今ごろは雪の中なので、敦賀半島までドライブに行くことなど思いもよらぬこと。春のような陽気に誘われて、氣比神宮から常宮神社まで足を伸ばした。
敦賀市内から海岸線に沿って敦賀半島を北上すると、やがて左手に常宮神社の鳥居が見える。常宮神社の創建は、大宝三年(703年)。氣比神宮の祭神・仲哀天皇(第十四代天皇・ 日本武尊の二子)の妻である神功皇后が祀られている。
暖冬の今年ならでは、初めてこの時期、常宮神社の梅の花を見ることができた。

紅梅

常宮神社

紅梅

若狭の紅葉 November, 2019

若狭神宮寺

若狭神宮寺

若狭神宮寺


若狭神宮寺


明通寺