若狭彦神社・若狭姫神社 September, 2019

玉造る若狭の國の國なかに神代の神を拝むけふ哉 柳田國男

とこしえに並いていますわかさ彦わかさ姫こそうらやましけれ 柳田國男

若狭彦神社は、若狭一の宮。海幸彦が祀られています。海幸彦のお母さんはコノハナサクヤヒメ。奈良時代、霊亀元年(715年)鎮座の古社です。

若狭姫神社は若狭彦神社の下社。御両宮とも後ろに山を負い、前には音無川の清流が流れています。

海幸彦の母は木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)、父は天照大神の孫であるニニギノミコト。

ニニギノミコトと、笠沙の岬でコノハナサクヤヒメに出逢い求婚します。コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミはそれを喜び、姉のイワナガヒメと共にニニギノミコトに差し出しますが、ニニギノミコトはイワナガヒメを送り返し、美しいコノハナノサクヤヒメと結婚します。オオヤマツミはこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすればニニギノミコトの命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤヒメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。コノハナノサクヤヒメだけと結婚すれば、ニニギノミコトの命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げたという神話があります。

若狭姫神社
若狭彦神社

小浜市 泊 June, 2019

小浜市 泊(とまり)へ

泊(とまり)は、名勝「蘇洞門」で知られる若狭湾内外海(うちとみ)半島の突端部にある集落。内海であるため、波は静かで穏やか、海の向こうに見える山々が美しい。

水上勉の小説に、ここ泊と小浜の遊里 三丁町を舞台とした「波影」がある。1965年、若尾文子主演で映画化(豊田四郎監督作品)もされている。
「波影」は、昭和初期を時代背景に、貧しい家に生まれた薄幸の女性の一生を描いた物語。主人公 雛千代の次のせりふが印象深い。「セッちゃん、泊の村にうまれた人はな、どこで死なはっても、観音さんのとこへもどってきやはるんや。大阪で死なはっても京で死なはっても、魂になって、生れ在所の泊へもどってきやはるんや。うちのお母ちゃんも、お父ちゃんも、ほてから、爺ちゃんも婆ちゃんも、みんな、泊の観音堂へまいまいこんこしてもらわはったんや。」
福井県は敦賀市木ノ芽峠を境に、嶺北地方と嶺南地方にわかれる。嶺南地方は、古くから京や近江との交流が盛んであったことから、嶺南地方の言葉は近江弁や京言葉に近い。
萩やさし敦賀言葉は京に似て 高浜虚子


海照院


若狭彦姫神社


「海は人をつなぐ母の如し」

泊には、「海は人をつなぐ母の如し」と日本語と韓国語で書かれた石碑がある。
— 1900年1月、大韓帝国の商船サインパンゼ号が遭難し、泊の沖合に漂着。これを発見した泊の人々は総出で救護。8日間の介護のあと、商船の乗組員93名全員が無事帰還した。救助にあたった泊集落の当時の人口は100名ほど。乗組員が帰途に着く時にはお互い、親族兄弟のように別れを惜しんだ。—
平和と友好を願って建てられた石碑である。



瓜割名水公園 紫陽花と花菖蒲 June, 2019

近くの公園、瓜割名水公園に紫陽花を見に行ってきました。
まだ、七~八分咲といったところ。雨の後だったので、いつもにまして静かな公園でした。花菖蒲のほうは見頃になっていました。

紫陽花


花菖蒲


 

常高寺 花菖蒲 June, 2019

小浜市 常高寺へ行ってきました。花菖蒲は見頃を迎えていました。


三丁町

海岸沿いの駐車場に車を止めて、三丁町を抜けて常高寺へ向かいました。

小浜の城下町は、東組、中組、西組の三地区に分かれていました。この界隈は西組になります。西組には、商家町、茶屋町、寺町があり、旧丹後街道に沿って、当時の風情を残す町並みを見ることができます。茶屋町通りには、茶屋建築の千本格子、二階の縁や出窓を持つ建造物が今でも残されています。

吊るされているのは奈良市 奈良町に行くと見られる「身代わり申」のようです。「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るすということです。庚申の日は60日毎に訪れ、この日は厄日の日、魔除けに「身代わり猿」を家の軒先に吊るしたらしいです。

小浜は古くから奈良との関係が深く、そのようなことから、この通りにも吊るされるようになったのではないかと…想像しています。


常高寺の花菖蒲


常高寺

常高寺を建立したのは常高院栄昌、若狭領主京極若狭守高次の妻お初の方です。
高次の菩提を弔うために常高寺を建立しました。

お初の方は、浅井長政を父とし、織田信長の妹お市の方を母とします。姉は豊臣秀吉の側室淀君。妹は徳川二代将軍秀忠の妻小督です。


常高院墓所

お初の方は、寛永十年、江戸で没し、小浜の地に葬られました。法名常高寺殿松岩栄昌大姉。常高院の墓を中心に七人の侍女、常高寺に得度した尼僧の墓に護られています。


太郎

小浜市 太郎

お腹が空いていてきたので、太郎さんで、きつねうどんを…
とっても美味しい出汁に満悦。


若狭の櫻 April, 2019

小浜市 阿納・矢代の桜

若狭神宮寺・鵜の瀬の桜

常神半島 神子の山桜

三方五湖の桜

 

若狭一の宮 若狭彦神社

奈良時代、霊亀元年(715年)の鎮座。海幸山幸の神話で名高い彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと 海幸彦)が祀られています。
下社である若狭姫神社とともに平安時代の延喜式に名神大社として記載されている若狭の国きっての格式の高い古社です。

海幸彦の母は、木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)、父は天照大神の孫であるニニギノミコト。

ニニギノミコトと、笠沙の岬でコノハナサクヤヒメに出逢い求婚します。コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミはそれを喜び、姉のイワナガヒメと共にニニギノミコトに差し出しますが、ニニギノミコトはイワナガヒメを送り返し、美しいコノハナノサクヤヒメと結婚します。オオヤマツミはこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすればニニギノミコトの命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤヒメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。コノハナノサクヤヒメだけと結婚すれば、ニニギノミコトの命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げたという神話があります。

若狭彦神社

お水送り March, 2019

若狭神宮寺 お水送り

今年は土曜日ということもあってか、例年以上の人出でした。お水送りが終わると、いよいよ若狭に春がやってきます。

◆ 若狭神宮寺のお水送り
「お水送り」は奈良東大寺二月堂の「お水取り」の「お香水」を送る神事。若狭神宮寺上流にある鵜の瀬に流すお香水は、十日をかけて奈良東大寺二月堂の「若狭井」に届くとされており、毎年三月二日に行われる神事です。 今年も奈良から多数の方がお見えでした。

修二会、達陀、神宮寺大護摩、松明行列、鵜瀬の大護摩、送水神事の行が厳粛のうちにとりおこなわれます。

若狭神宮寺は、奈良時代 和銅七年、若狭国一の宮の神願寺として開創され、鎌倉時代初期に寺号を若狭彦神社別当寺神宮寺と改められた神仏習合のお寺です。

18:00 修二会(非公開)(於:神宮寺堂内)
18:30 達陀(だったん)(於:神宮寺堂内・境内庭)
19:00 大護摩法要(於:神宮寺前庭)
19:30 松明行列(於:神宮寺から鵜の瀬へ移動)
20:00 鵜の瀬大護摩供
20:30 お水送りの神事
21:00 立ち直会(なおらい)