渡辺貞夫 Live Spot RAG 京都

京都のライブスポット ラグで、渡辺貞夫さんのライブがあることを知って、チケットを買ったのは9月の半ば。楽しみにしていた日が、ついにやってきました。

カルテットのメンバーは、渡辺貞夫(As) 小野塚晃(P) 三嶋大輝(B) 竹村一哲(Ds)の4人。メンバー最年長は、もちろん御年92歳の渡辺貞夫さん。一昨年、狭心症の手術をされたそうですが、いたってお元気。来年は、演奏活動75周年の年で、全国ツアーをされるようです。

アンコール曲を含め、休憩を挟んで2時間たっぷりの演奏でした。前半は、時折、互いに目を合わし、微笑みを浮かべての素敵なセッション。
後半は、バラードからサンバ、渡辺貞夫さんのタンバリンや小野塚さんのシェイカーも飛び出し、大いに盛り上がりました。
大好きな曲Harambee(ハランべ)も聞くことができて、何よりでした。「ハランベ」はスワヒリ語で、みんなが力を合わせるときの掛け声なのだそうです。

SET LIST

PLUM ISLAND Charlie Mariano

LOPIN’ Charlie Mariano

LAURA David Raksin

A FELICIDADE Antônio Carlos Jobim / Vinícius de Moraes

NATURALLY
WIND & TREES
SAMBA EM PRELÚDIO Baden Powell

MAIS UM ADEUS Toquinho / Vinícius de Moraes

WAITING SONG
TILL WE MEET AGAIN
COMO VAI!
YOU’D BE SO NICE TO COME HOME TO Cole Porter

TEMBEA
MANHATTAN PAULISTA

LIFE IS ALL LIKE THAT
HARAMBEE Daudi Kabaka

宝島 Hero’s Island

原作は真藤順丈の「宝島」(2018年 直木賞受賞作)

三時間を超す大作ですがエンドロールが終わり劇場内に灯りが戻るまで、誰も席を立つことがありませんでした。

沖縄刑務所の暴動事件(1954)、宮森小学校への米軍機墜落事故(1959)、米軍基地からのVXガス放出事故(1969)、そしてゴザ暴動(1970)といった史実を縦軸に、混乱期の沖縄を生き抜いた若者たちの物語です。

それぞれの若者たちの朗々とした熱量のある生き様に圧倒され、青春物語としてもサスペンスとしても第一級の作品に仕上がっていると感じました。

1970年は大阪万国博覧会が開催された年。沖縄本土復帰は1972年でした。 主人公のグスク役の妻夫木聡さんはじめ、広瀬すず、窪田正孝、永山瑛太さんらの演技に拍手。
まさに熱演でした。観劇後、人それぞれに思う事は様々でしょうが、多くの人に観ていただきたいなと思ういい映画でした

越前竹人形

日曜日 友人の誘いで、若州人形座の公演を観に若州一滴文庫のくるま椅子劇場に行ってきました。

原作は水上勉の「越前竹人形」。竹細工師喜助と遊女玉枝の切ない物語です。
谷崎潤一郎は この小説を以下のように評しています。

「櫛の歯のように生えている竹林にさし込んでいる陽は、苔のはえた地面に、雨のようにそそぐかにみえた。 玉枝は黄金色の光の糸を背にして、竹の精のように佇んでいた。 鮫島ではないが、私もここで思はず息を飲んだ。“竹の精”と云う想像はいかにも美しい。この一言でその場の光景が金色を放って目に浮ぶ。・・・(中略)・・・作者がそれを意識していたかどうかは分らないが、何か古典を読んだような後味が残る。・・・」

来年は「若州人形座」四十周年の年、ラストステージになるとのことです。
演目は「はなれ瞽女おりん 原作 水上勉」と伺いました。

やってみなはれ みとくんなはれ

 開高 健・山口 瞳

「人間」らしくやりたいナ トリスを飲んで 「人間」らしくやりたいナ 「人間」なんだからなナ   開高 健

トリスを飲んでHawaiiへ行こう!  山口 瞳

寿屋(現 サントリー)宣伝部の社員だったお二人が書いたサントリーの社史です。戦前編は山口瞳、戦後編は開高健が担当し、執筆されたのは昭和四十四年(1969)です。
サントリー山崎蒸留所のショップでこの本を見つけ買ったのですが、面白くて一気に読み終えてしまいました。

昭和三十三年(1958)、宣伝部東京支店でPR誌「洋酒天国」の編集長をしていた開高健が現地採用したのが山口瞳でした。当時、大阪に本社のある寿屋が、東京で社員を入社させるとき現地採用と言っていたとのこと、社員の大半は大阪人で、大阪一色の会社だったようです。この年、開高建は芥川賞を受賞。昭和三十八年(1963)に、山口瞳が直木賞を受賞。イラストレーター柳原良平他、宣伝部には多士済々が揃っていました。

あとがきで山口瞳はこのように述べています。「サントリーの社史を書くということは 鳥井信治郎の伝記を書くことである。・・・そのためには、社内の熱気を理解してもらわなければならない。・・・私が念じたのは、当代にもっとも稀薄になっていると思われる『何ものか』を、いまの若いサラリーマンに理解してもらいたいという一事であった」

赤玉ポートワインのヒットにより、鳥井信治郎が株式会社壽屋を設立したのは大正十年(1921)。甘口の赤玉ポートワインは人気を博し、国内ワイン市場の60%を占めたということです。

これに安住せず、鳥井信治郎はウィスキーの時代が来るとの信念で、ウィスキーの製造販売にとりかかります。
技術者として破格の給料で雇い入れたのが日本のウィスキーの父と言われる竹鶴政孝。大正十三年(1924)に山崎蒸留所を竣工し、蒸留を開始します。
昭和四年(1929)、昭和五年(1930)に、サントリーウヰスキー(白札)・(赤札)を発売しますが不振。昭和九年(1934)、十年の契約を終え竹鶴政孝は壽屋を退社、ニッカウヰスキーを創業します。
昭和十二年(1937)、 「サントリーウイスキー12年(サントリー角瓶)」を発売。この製品の成功により、サントリーのウィスキー事業はやっと軌道に乗ります。

寿屋二代目社長は、鳥井信治郎の二男佐治敬三。昭和三十六年(1961)、社長に就任。この年、佐治敬三は鳥井信治郎に、数年間にわたり準備をしていたビール製造の決意と企画を打ち明けます。父の返事は「・・・やってみなはれ」
昭和三十七年(1962)鳥井信治郎逝去。昭和三十八年(1963)、社名が「壽屋」から「サントリー」に変更されます。

当時、日本のビール業界は、キリン、サッポロ、アサヒの三社が寡占しており、サントリーのビール製造の準備は社内でも極秘のうちにすすめられました。佐治がめざしたのは新しい味のビールでした。
三社が寡占する日本のビール業界にあって、美味しければ売れるというものではなく、販路を築くのは並大抵のことではなかったようです。
昭和37年(1962)、佐治敬三は、アサヒビールの社長 山本為三郎を訪ねています。サントリービールの発売の際には、アサヒビールの販売網にのせてもらえないかとの願いでした。
山本為三郎は「一切の協力を惜しみません」と快諾しました。山本為三郎は「大山崎山荘」の保存再生に尽力した人物でもあり、山荘は「アサヒビール大山崎山荘美術館」として現在に至っています。
それでも、新規ビール事業は困難を極め、ようやく軌道に乗ったのは昭和四十二年(1967)のことでした。

「やってみなはれ やってみなわからしまへんで」
鳥井信治郎、佐治敬三他、登場する人物の生き方に熱いものを感じた一冊でした。

孤独のグルメ

久住昌之 原作 谷口ジロー 作画

月刊誌に連載が始まったのは1994年、それからもう30年もたちます。
個人輸入雑貨商を営む井之頭五郎の食事にからむ一話完結のエピソードは、時にユーモアがあり時にペーソスがありでとても味わい深く、テレビドラマとはまた違った趣があります。精緻な谷口ジローさんの作画による食事風景は本当に美味しそう。
2012年、テレビドラマ化され、深夜番組の枠で放映が始まりました。井之頭五郎を演じる松重豊さんは、テレビドラマ初主演だったそうです。以来、15年近くも続く息の長い番組になりました。ドラマの方は、日曜日の夕方、BSテレビ東京で再放送されているので録画しては楽しんでいます。

とっても精緻な谷口ジローさんの作画。
一コマ描くのに一日かかることもあると言う谷口ジローさんのお話を聞いた覚えがありますが、ほんとに美味しそうです。ところどころの井之頭五郎の短いせりふも、楽しみのひとつです。


『孤独のグルメ』巡礼ガイド

こちらは、テレビドラマのほうで、井之頭五郎が訪ねたお店を紹介するガイド本。
原作者・久住昌之さんや松重豊さんのトークもあって楽しい一冊です。
この本を持って、紹介のお店をたずね、食べ歩きをしたいところですが、残念ながら東京のお店ばかりなので・・・


「歩くひと」 谷口ジロー

長く活躍してほしかった谷口ジローさんですが、2017年2月に他界。(行年69歳)

2011年、フランス芸術文化勲章「シュヴァリエ」を受賞されるなど、海外に於いても高い評価を受けていた作家です。

映画「孤独のグルメ」でも、物語の冒頭で井之頭五郎がパリの顧客に届ける絵画が、谷口じろーさん作品でした。