奥越 大野市へ小旅行 June, 2019

大野市 大野城

奥越 大野へ

大野は同じ県内にいながら今まで仕事でしか訪れたことがなく、市内を散策するのは初めてのこと。雨の予報で、雨具を準備しての大野入りでしたが、雨どころか青空が見える天候となり、嬉しい小旅行となりました。

福井県 大野市と勝山市がある地域は奥越と呼ばれ、同じ奥越にあっても勝山市を抜ける道は石川県に続き、大野市を抜ける道は郡上八幡に至り岐阜県に続きます。

大野市には、JR西日本越美北線(えつみほくせん)が通ります。越美北線の「越」は越前の越、「美」は美濃の美。名の示す通り、もともとは、油坂峠を経由して中京方面と北陸方面を結ぶ路線として計画されていた路線です。岐阜県側には越美南線が走っていました。
しかしながら、両県をまたぐ線路は開通に至らず、福井県側では越美北線(九頭竜線)、岐阜県側では長良川鉄道越美線として、両県それぞれで利用されています。


大野城

大野市にある大野城は、天正3年(1575年)、織田信長の命により一向一揆を平定した金森長近が築いた平山の城。大野市は城下町として栄え、碁盤の目状に区切られた街並みは、風情豊かでとても美しい。


蕎麦屋 「七間本陣」

登城口から天守まで、夏の緑を愉しみながら歩くこと約20分。
山々に囲まれた大野の町並みを天守から臨んで、下城した時はちょうどお昼時、大野市にはたくさんの美味しそうなお蕎麦屋さん。
今回は「七間本陣」のお蕎麦を。お店の人のアドバイスで、三束を注文し、盛りで二束、おろしで一束をいただくことに。少し甘みのある大根おろしの出汁でいただく細麺の十割蕎麦は格別の味。本わさびを蕎麦にからめてから、つゆでいただいた盛りも絶秒の味。蕎麦湯も、これまた美味しく、近くにこんな店があったらいいのにと思いながらお昼を終えました。

大野市 七間本陣

花垣

さて、大野市七間通りの風情豊かな街並みを右に左に見ながら散策していくと、大野の銘酒「花垣」の看板。迷わず店内へ…

『花垣』の醸造元・南部酒造場の始まりは江戸時代にさかのぼる歴史のある造り酒屋。試飲をさせていただくこともでき、一番口にあった「大吟醸 花垣」と花垣の平盃を旅の記念に購入。甘くもなく辛くもなくまろやかながらもしっかりとした味があり、飲んだ後の余韻も愉しめるお酒。

七間清水(しちけんしょうず)

大野市  七間清水

大野の街は、各所に清水が湧き出ており、七間清水(しちけんしょうず)と呼ばれています。


残念ながら、ここで時間切れ。すっかり大野のファンになってしまった大野への小旅行。次回はもっと時間をとって、紅葉の頃、再び訪れようと決意して帰路についた次第です。

小浜市 泊 June, 2019

小浜市 泊(とまり)へ

泊(とまり)は、名勝「蘇洞門」で知られる若狭湾内外海(うちとみ)半島の突端部にある集落。内海であるため、波は静かで穏やか、海の向こうに見える山々が美しい。

水上勉の小説に、ここ泊と小浜の遊里 三丁町を舞台とした「波影」がある。1965年、若尾文子主演で映画化(豊田四郎監督作品)もされている。
「波影」は、昭和初期を時代背景に、貧しい家に生まれた薄幸の女性の一生を描いた物語。主人公 雛千代の次のせりふが印象深い。「セッちゃん、泊の村にうまれた人はな、どこで死なはっても、観音さんのとこへもどってきやはるんや。大阪で死なはっても京で死なはっても、魂になって、生れ在所の泊へもどってきやはるんや。うちのお母ちゃんも、お父ちゃんも、ほてから、爺ちゃんも婆ちゃんも、みんな、泊の観音堂へまいまいこんこしてもらわはったんや。」
福井県は敦賀市木ノ芽峠を境に、嶺北地方と嶺南地方にわかれる。嶺南地方は、古くから京や近江との交流が盛んであったことから、嶺南地方の言葉は近江弁や京言葉に近い。
萩やさし敦賀言葉は京に似て 高浜虚子


海照院


若狭彦姫神社


「海は人をつなぐ母の如し」

泊には、「海は人をつなぐ母の如し」と日本語と韓国語で書かれた石碑がある。
— 1900年1月、大韓帝国の商船サインパンゼ号が遭難し、泊の沖合に漂着。これを発見した泊の人々は総出で救護。8日間の介護のあと、商船の乗組員93名全員が無事帰還した。救助にあたった泊集落の当時の人口は100名ほど。乗組員が帰途に着く時にはお互い、親族兄弟のように別れを惜しんだ。—
平和と友好を願って建てられた石碑である。



瓜割名水公園 紫陽花と花菖蒲 June, 2019

近くの公園、瓜割名水公園に紫陽花を見に行ってきました。
まだ、七~八分咲といったところ。雨の後だったので、いつもにまして静かな公園でした。花菖蒲のほうは見頃になっていました。

紫陽花


花菖蒲


 

シモツケ

おはようございます。
今日は薄曇り、梅雨が近いのかなぁ…
花の名は、下野国(栃木県)で最初に発見されたことに由来するそうです。

シモツケ

常高寺 花菖蒲 June, 2019

小浜市 常高寺へ行ってきました。花菖蒲は見頃を迎えていました。


三丁町

海岸沿いの駐車場に車を止めて、三丁町を抜けて常高寺へ向かいました。

小浜の城下町は、東組、中組、西組の三地区に分かれていました。この界隈は西組になります。西組には、商家町、茶屋町、寺町があり、旧丹後街道に沿って、当時の風情を残す町並みを見ることができます。茶屋町通りには、茶屋建築の千本格子、二階の縁や出窓を持つ建造物が今でも残されています。

吊るされているのは奈良市 奈良町に行くと見られる「身代わり申」のようです。「庚申(こうしん)さん」のお使いの申をかたどったお守りで、魔除けを意味し、家の中に災難が入ってこないように吊るすということです。庚申の日は60日毎に訪れ、この日は厄日の日、魔除けに「身代わり猿」を家の軒先に吊るしたらしいです。

小浜は古くから奈良との関係が深く、そのようなことから、この通りにも吊るされるようになったのではないかと…想像しています。


常高寺の花菖蒲


常高寺

常高寺を建立したのは常高院栄昌、若狭領主京極若狭守高次の妻お初の方です。
高次の菩提を弔うために常高寺を建立しました。

お初の方は、浅井長政を父とし、織田信長の妹お市の方を母とします。姉は豊臣秀吉の側室淀君。妹は徳川二代将軍秀忠の妻小督です。


常高院墓所

お初の方は、寛永十年、江戸で没し、小浜の地に葬られました。法名常高寺殿松岩栄昌大姉。常高院の墓を中心に七人の侍女、常高寺に得度した尼僧の墓に護られています。


太郎

小浜市 太郎

お腹が空いていてきたので、太郎さんで、きつねうどんを…
とっても美味しい出汁に満悦。