狼の牙を折れ 門田隆将

狼の牙を折れ 門田隆将

狼の牙を折れ 門田隆将 著

昭和49年8月30日(1974年)に起きた「三菱重工ビル爆破事件」のルポルタージュ。

この書の白眉は、捜査にあたった警視庁公安部の刑事等、事件関係者への丹念なインタビューにより、昭和50年5月19日(1975年)犯人逮捕に至るまでの経緯が、捜査官を含めすべて実名で詳細に述べられていること。犯人グループにせまる警視庁公安部の捜査の様子がまるで現場にいるかのように詳しい。

事件発生当時の首相は田中角栄、田中角栄はこの年12月に退陣し、三木武夫内閣が誕生している。

三菱重工ビル爆破事件

ダイナマイト700本分の爆薬が使われ、死者8名、重軽傷者385名の惨事となった。犯行声明を出したのは「東アジア反日武装戦線 狼」と名のるグループ。以後、逮捕に至るまで連続企業爆破事件を起こすことになる。

土田警視総監

被疑者逮捕時の警視総監は土田國保氏。

警視庁警務部長の任についていた1971年12月、同期からの贈答品を偽装した郵便爆弾により夫人の民子さんが爆殺されている。

民子夫人の実父である野口氏は、「民子は苦しみましたか。…そうでしたか。それならよかった。数万の職員に代わって逝ったことだろうから、民子も悔いてはいないだろう。」と述べたという。

土田氏は、この時の記者会見でこのように述べている。「……犯人に私は呼びかけたい。君らは卑怯だ。自分の犯した重大な結果について自ら進んで責任を負うことはできないだろう。しかし少なくとも一片の良心があるならば、このような凶行は今回限りでやめてもらいたい。そして、私の家内の死が善良な何の関係も無い都民、あるいは警視庁の第一線で働いている交番の巡査諸君や機動隊の諸君や家族の身代わりになってくれたのだというような結果がここで生まれるならば私は満足いたします。以上です。」

深い悲しみと怒りを胸内にとどめての二人の言葉であったのだろうと察する。

捜査と報道

捜査は、スクープを狙い捜査関係者に夜討ち朝駆けをかける報道とのせめぎ合いでもあったようだ。

情報管理をつくしても、どこからか捜査情報は洩れるのであろう。逮捕決行日を5月19日と決めたその前夜5月18日の夜、被疑者逮捕の情報を掴んだ記者が土田警視総監宅を訪れる。

要件は、5月19日の朝刊に被疑者逮捕の記事を載せるということである。土田警視総監は記者に懇願する。「輪転機を止めてください。危険です。犯人たちは、すでに次の爆弾を持っている。もし、気づかれたら、捜査官だけでなく、一般市民にも被害が及ぶ可能性がある。」

「人命を脅かす危険性の回避」か「スクープ報道」か。新聞社上層部は「スクープ報道」を優先する。

5月19日早朝、捜査官はこれから行うはずの逮捕がすでに書かれている朝刊を目にする。捜査幹部からの指示は「犯人が新聞記事を目にする前に逮捕せよ。」

7名の被疑者が逮捕される。内1名は所持していた薬により服毒自殺。

超法規的措置

同年8月、マレーシアのアメリカ大使館とスウェーデン大使館を日本赤軍が占拠、彼らの要求により、日本政府は「連続企業爆破事件」の被疑者1名を釈放。1977年、ダッカ事件(日航機乗っ取り)、同じく2名を釈放。

思えば四十数年も前の出来事、しかしながら、読んでよかったと思う一冊だった。

  • 1974年8月30日…三菱重工爆破事件…「狼」 8名が死亡、385人が重軽傷。
  • 1974年10月14日…三井物産爆破事件…「大地の牙」 17人が重軽傷。
  • 1974年11月25日…帝人中央研究所爆破事件…「狼」
  • 1974年12月10日…大成建設爆破事件…「大地の牙」 9人が重軽傷。
  • 1974年12月23日… 鹿島建設爆破事件…「さそり」
  • 1975年2月28日…間組爆破事件…「大地の牙・狼・さそり」 5人が負傷。
  • 1975年4月19日…-韓国産業経済研究所爆破事件…「大地の牙」
  • 1975年4月28日…間組京成江戸川作業所爆破事件…「さそり」 1人が重傷。
  • 1975年5月4日…間組京成江戸川橋鉄橋工事現場爆破事件…「さそり」