けさ秋や瘧(おこり)の落ちたやうな空 一茶
一茶の句を初めて知ったのは小学校の国語の授業。一茶という人はなんと愉快な人なのだろうとずっと思っていました。
実際は生涯を通じ薄幸の人。15歳の時江戸に奉公に出されますが馴染めず、生まれ故郷の信濃に帰り、初めて結婚したのは52歳の時。生まれた長男はすぐに他界。その後、長女「さと」が誕生します。
めだたさも中くらいなりおらが春
這へ笑へ二つになるぞ今日からは
と詠みますが、その「さと」も初夏に亡くなり、二ヵ月して詠んだのが揚句です。
さて、藤沢周平の一茶。読んで心に重い一冊でした。赤貧と漂白に疲れた悲哀の俳人を美化することなくその人となりに迫った書。
藤沢周平は一茶のことを、「ある時は俗物であった。また、まぎれもない詩人だったのである。」とエッセイに記しています。
一茶は、二万におよぶ句を残しました。その中で、藤沢氏の最も好きな句は
木がらしや地びたに暮るる辻謡ひ
霜がれや鍋の墨かく小傾城
の二句だと言うことです。