奥嵯峨 小倉山二尊院

二尊院は、小倉山の麓に在ります。

「京都に行く時はいつも親父(坂東妻三郎)のお墓参りに行きます。嵐電(らんでん)に乗ってね。嵐電には『蚕の社(かいこのやしろ)』『「帷子の辻(かたびらのつじ)」といかにも京都らしい名の駅があってね …… 二尊院というお寺なんですけど、なかなかいいお寺ですよ。』と追悼番組のなかで生前の田村正和さんが語っていらっしゃいました。

二尊院は、千二百年前、嵯峨天皇の勅願により建立。阿弥陀如来と釈迦如来の二尊が祀られています。鎌倉時代には法然上人が在住、法を説かれたということです。
明治維新までは天台宗・真言宗・律宗・浄土宗の道場でしたが、現在は天台宗のお寺、正式名称は、小倉山二尊教院華臺寺。

久しぶりの奥嵯峨。祇王寺、化野念仏寺と、散策を楽しんできました。

参道・総門

本堂

約三百五十年振りの大改修が行われ、平成二十八年(2016)に完了しました。
六間取り方丈形式の間口の広い本堂は、まことに壮麗な姿です。

阿弥陀如来と釈迦如来


本堂には極楽往生を目指す人を此岸から送る「発遺の釈迦」と、彼岸へと迎える「来迎の弥陀」の遺迎二尊が祀られています。
右に釈迦如来、左に阿弥陀如来。左右相称の金泥塗り、有難いお姿でした。

唐門

天皇の使いだけが通れたという勅使門。

弁天堂

弁財天の化身である九頭龍大神・宇賀神が祀られています。

八社宮

境内の東北、表鬼門に建てられている社です。伊勢神宮・松尾大社・愛宕神社・石清水八幡宮・熱田神宮・日吉神社・八坂神社・北野天満宮の八社が祀られているとのこと。

湛空廟

本堂右横の木々に囲われた石段を登って行くと湛空廟に。二尊院で教えを広めた湛空上人の碑が収められています。

墓所

亀山天皇、後嵯峨天皇、土御門天皇の御分骨を納める三帝陵の他、旧宮家 鷹司家・二条家・三条家・四条家・三条西家・嵯峨家のお墓。江戸時代の豪商 角倉了以、儒教学者 伊藤仁斎のお墓など、立派なお墓が広大な墓所に並んでいます。
田村家(坂東妻三郎)のお墓には、どなたかが最近お参りされたのか、お花が手向けられていました。

小倉山荘 時雨亭跡

藤原定家が、小倉百人一首を編纂した場所とされる「小倉山荘」、別名「時雨亭」。
その跡地とされる所は諸説あり、二尊院の墓所から少し登ったところがその一つ。他に、常寂光寺、厭離庵にも跡地とされている所があるようです。
途中、お猿さんに出迎えてもらいながら細い山道を進んでいくとやがて跡地に。木々の向こうに京都の街並みを眺望することができました。

扇塚

吉村流開祖と2代目、3代目の家元を弔い供養するために人間国宝の日本舞踊家・上方舞吉村流第4世家元の吉村雄輝(よしむらゆうき)さんらが建立された扇塚です。

奥嵯峨 祇王寺

久しぶりの奥嵯峨、このまま帰るには惜しく、二尊院をあとにして祇王寺へ・・・

平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が清盛の心変わりにより、母と妹とともに出家し、往生院にあった庵に入寺します。
後年、往生院は荒廃しますが、庵はささやかな尼寺として残り、祇王寺と呼ばれるようになりました。
本堂内には本尊の大日如来。平清盛と四尼僧の木像が安置されています。境内には清盛の供養塔と祇王姉妹らを合葬した宝篋印塔が建立されています。
竹林と楓に囲まれ、苔が美しいつつましやかな草庵に佇むともののあわれを感じるようでした。

吉野窓

草庵の控えの間の丸窓。障子に写る、緑葉と日差しが目を和らげます。

奥嵯峨 化野念仏寺

二尊院から祇王寺。もう少し足を進めて念仏寺まで行ってみることにしました。石畳に並ぶ家々は閑静で、市内の喧騒から離れます。コロナ禍、平日ということもあってか、この間、会ったのは妙齢のご夫婦、一人旅の男性お一人のみ、静かな道行となりました。

「化野」は「あだしの」と読み、この地は古来より葬送の地であったそうです。
「化野」は、むなしいとの意。「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生まれ化る事や、極楽浄土に往来する願いなどを意図していると説明にありました。

華西山東漸院念仏寺…化野の地に寺が建立されたのは、約千二百年前。弘法大師が五智山如来寺を開創、その後、法然上人の常念仏道場となり、浄土宗のお寺となります。

西院の河原


境内には、多くの石仏・石塔が散見されますが、あだしの一帯に葬られ何百年という歳月を経て無縁仏となった人々が祀られているということです。