友あり駄句あり三十年  東京やなぎ句会編

十月に鬼籍にはいられた柳家小三治さん、東京やなぎ句会で句を詠まれていました。俳号は土茶。
他にも会員は、入船亭扇橋さん、永六輔さん、小沢昭一さん、桂米長さん、などなど、名前を拝謁しただけでも、どんな句会だったのだろうと楽しくなってしまいます。
句会実況中継、各々が選ぶ自選駄句と俳句についての所感「俳句と私」・・・たのしみ満載の一冊でした。
句会の会則には罰則もあり、これがまたなんとも面白く、らしいなぁ~と思えてしまいます。「欠席者は当日の会費、賞品、兼題句を代理人に託さなければならない。代理人は女性(未婚女性または欠席せんとするものの配偶者)に限る。代理人を派遣できない甲斐性なきものは、罰金五千円の納入をもってこれに代えることができる。」

柳家小三治さんについての稿を少し抜粋してご紹介します

土茶(柳家小三治)

鶯のかたちに残るあおきな粉
刈り立ての頭撫でてる夜寒かな
ほう鰯だね横目でネクタイほどきつつ
足の裏ひとり押してる信長忌
行く春やごみのんびりと神田川
ふわふわといつのまにやら弥生かな
ぶらんこのまだ揺れている揺れている
時おりは怒ったように春の風
冷奴柱時計の音ばかり
煮凝りの身だけよけてるアメリカ人

我が愛しの駄句  柳家小三治(土茶)

駄句か駄句でないか判断するのは難しい。・・・・・・私も作ってみましたがどうでしょうとお見せくださる方もよくあるが、丸っきりわからない。その人がいい句だろうと思えばいい句だろうし、極論すれば、どうでしょうとひとさまに聞かなきゃならないような心の持ち方がすでによい句とは言えないと言い切ってみたい。
このごろそう思うようになった。のであって、やはり、人はどうみるのだろう、と作り上がった句を見直してしまう。・・・・・・だから、私も作ってみましたがどうでしょうという気持ちはとてもよく分る。できれば、これは素晴らしいと褒めてくれればいいなァという下心も身に憶えは十分にある。が、今迄私も作ってみましたがどうでしょうと見せられて、素晴らしいとかいいとか、言ったことは何度もあるけど思ったことは一度もない。・・・・・・つまり、私にはひとの句を見てよいと評価できる能力がない。ただし、よいとは思わなかったものを別の人がこれァいいと褒めた途端に急によく見えてくる。・・・・・・と心から思ってしまう特技を私は持っている。早い話が俳句はわからない。わからないのである。・・・・・・

「俳句仲間」 ・・・小沢昭一さんが語る小三治さん

柳家小三治さんは、ご承知のとおり当代の落語会を代表するひとり。・・・・・・そのくせこの人は、クラシックをはじめ洋楽が好きで、ステレオやカメラなど機械ものにも凝り、またご存知オートバイを乗り廻し、いつもアメリカへ行きたがっているという、およそ古典派の噺家さんの一般的なイメージとはかけ離れたワイド人間なんです。

・・・・・・手なれたうまさになることを自分で警戒し、素直な実感を大切にしているようです。でもご本人は、そんなつもりはオクビにも出さず、いつも、そらっとぼけているのですよ。