大原 「熊谷 鉈捨藪跡」

大原三千院の門を右手に直進し、津川の橋を渡るとはやがて勝林院にいたります。

勝林院は、「大原問答」が行われた寺院。文治二年(1186)、比叡山、東大寺の高僧やその弟子があつまり、法然と浄土念仏の教理について問答しました。法然は、どのような難問にも経典の根拠を挙げて理路整然と論破したと伝えられています。

さて、津川にかかる橋の手前に、「熊谷 鉈捨藪跡」の文字を刻んだ石碑があります。説明によると、法然上人の弟子の熊谷直実(蓮生坊)は、「師の法然上人が論議にもし敗れたならば法敵を討たん。」と袖に鉈を隠し持っていたのですが、法然上人に諭されて鉈を藪に投げ捨てた場所ということです。

熊谷直実が法然の弟子になったのは、建久三年(1192)以後のことなので、直実が法然上人のお供をしたというのは、史実にあいません。どうやら、伝説の史跡のようです。

大原 鉈捨藪跡

古知谷阿弥陀寺 秋海棠

今日は古知谷阿弥陀寺へ。秋海棠が楽しみ。早朝、七時発、阿弥陀寺山門の駐車場へ八時着。ここからの坂道がけっこうキツイ。休み休み、登っていくと、やがて実相の滝と樹齢八百年という楓の木が見え始めます。参拝は午前九時からとのことなので、滝を見ながら一休み。

秋海棠は見事でした。帰り、受付の窓口で「ここの紅葉はいつごろですか」と尋ねると、「山門の付近は十一月初め、この辺りは十一月中頃が例年、見頃なのですが、いつもなら八月の末から咲き始める秋海棠が、今年は八月初旬から咲き始めていたので、たしかなことは言えないです。十一月初めころ、お電話くだされば、紅葉の状況をお伝えしますよ」と親切な言葉をいただきました。

十一月に再訪です。

谷中、花と墓地  E.G.サイデンステッカー

独りでの花見はたいてい谷中に決まっていた。どの国においても、墓地は美しい。東京の墓地も例に漏れない。上野のれん会のタウン誌「うえの」に掲載されていたサイデンステッカーさんの随筆集。図書館で借りて読んだのだけれど、読後、手元に置いておきたいと思った一冊。読んでいて、文章がとても心地よいのです。著者は、定年後、アメリカと日本を半年ずつ住む暮らしを続けていたとのこと。東京で暮らすのは梅の花の初春から花菖蒲の咲く初夏まで。日本の春の花々をたのしみたいというのがその理由のよう。まったく、読んでいると著者といっしょに花を愛でながら東京の下町を散策しているような気分になります。ほんとうのところ、東京の下町をゆっくり歩いたという経験はなく、せめて一週間ほど滞在して、随筆の場所を訪れてみたいと思いました。できれば春に。失われつつある日本の文化への警鐘もあり、幾度となく読み返したい書です。

「小津映画」の章より
・・・ところで、小津の映画に出てくる人物たちはみな行儀が良い。というのは、単に礼儀作法が良いということではない。役に応じたそれぞれの人物たちの控え目な会話やしぐさの中に、人間的な温もりを感じられるということである。それは小津が創り出した虚構の人物では決してない。映画の背景を支えている日本文化が持っていた本来の美質だ。 
最近の日本は「国際化」という意味不明な掛け声に埋もれているが、その一方で、世界が認めているはずの大切な文化がどんどん壊されているのだから皮肉な話である。国際的であるためには、確立された自国の豊かな文化をまず身に纏うことである。己の土台をないがしろにして他に認めてもらうことはできない。・・・