同志社大学と新島旧邸 March, 2019

良心の碑

良心の碑…「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」

 

新島襄の旧邸を見学。
外観は何度となく見に行ったことがあったのですが、内部を見せていただくことができる特別公開日に行くのは初めてでした。
この日は、おりしも卒業式。大学のキャンパスはとても華やかでした。

同志社大学

同志社大学 正門

 

同志社大学 有終館

有終館…当初は「書籍館」と呼ばれていた同志社最初の図書館。D.C.グリーンの設計により1887年11月に竣工。図書館の役目を終えた際に、時の海老名弾正第8代同志社総長が「有終館」と名付けました。

 

同志社大学 クラーク記念館

 

クラーク記念館…B.W.クラーク夫妻からの寄付によって建てられ、1894年1月30日に開館。

同志社大学 同志社礼拝堂

同志社礼拝堂…D.C.グリーンによる設計で、1886年6月に竣工したプロテスタントのレンガ造チャペルとしては日本に現存する最古の建物です。

同志社大学 正門

同志社徽章…正三角形を3つ寄せたもので、国あるいは土を意味するアッシリア文字「ムツウ」を図案化したもの。知・徳・体の三位一体あるいは調和をめざす同志社の教育理念をあらわしています。考案者は湯浅半月。
スクールカラーは、ロイヤル・パープルと白の2色。創立者新島襄の母校、アーモスト大学のスクールカラーでもあります。



新島 襄旧邸

1875年11月29日、新島襄は、高松邸(高松保実所有)の半分を賃借し、生徒8名で同志社英学校を開校しました。
翌年、同志社英学校は旧薩摩藩邸跡地に移ります。これに合わせ、新島は高松邸を購入し、自宅を建築しました。和に洋を取り入れた大変モダンなつくりの邸宅です。

新島は、亡くなるまでの十年間、妻の新島八重さんとこの邸宅で過ごしました。また、新島は、年老いた両親のために附属屋を建築しています。附属屋は、江戸藩邸にあった住居に準じた和風の造りとなっています。

老朽化から一階部分のみの見学が許されていました。

新島旧邸

新島旧邸 外観


新島旧邸 書斎

 

新島旧邸 書斎…整理整頓好きな新島の書斎はいつも整然としていました。
蔵書のほとんどは洋書。同志社の学生たちは図書室のように自由に利用していたということです。


新島旧邸 応接間

 

応接間…当時としては画期的なセントラル・ヒーティングが設置されていました。


新島旧邸 勝海舟の書

 

応接間には、勝海舟による六然の書があります。

  • 『自処超然』自分を絶えず突き放し眺めること。
  • 『処人藹然』人と接するときは和やかな気持ちでということ。
  • 『有事斬然』何か事があるときは、ぐずぐずしないできびきびとやること 。
  • 『無事澄然』何も事がないときは、水のように澄んだ気でいること。
  • 『得意澹然』物事が上手くいって得意な気分のときは、努めて淡々とした態度を示すこと。
  • 『失意泰然』 失意のときは、やせ我慢でいいからゆっくり落ち着いていること。

新島旧邸 ダイニングルーム

 

食堂…新島は洋食が好みで、洋風の料理に使う野菜などは庭で栽培していたということです。


新島旧邸 八重さんの茶室

 

新島八重の茶室…新島の死後、八重は1階洋室を改造して茶室にしました。
茶室の名前は「寂中庵」。八重の茶名は新島宗竹、裏千家13代家元千宗室に師事していました。


新島旧邸 洋式トイレ

 

洋式トイレ…板張りの腰掛式トイレ。日本で初めての洋式トイレと伺いました。


新島 襄の墓

新島 襄は東山若王子山頂にある同志社墓地に埋葬されています。ここには、新島をはじめ、妻新島八重や山本覚馬、同志社関係の宣教師たちが眠っています。

新島は、明治23年(1890年)1月23日に神奈川県大磯で天に召されました。享年46歳。新島の遺体が京都に運ばれたのは4日後の1月27日。同志社チャペルでの葬儀が終わると、生徒たちが代わる代わる新島の棺を担ぎ、東山若王子まで運びました。

一乗滝と一乗谷朝倉氏遺跡 March, 2019

永平寺を参拝したあと、かねてから一度行きたいと思っていた一乗滝と一乗谷朝倉氏遺跡へ。
桜の頃に来てみたいなと思いつつ…一乗谷をあとにしました。

一乗谷朝倉氏遺跡

福井市城戸ノ内町にある一乗谷は戦国時代朝倉氏五代の城下町として栄えました。
朝倉家五代目当主、朝倉義景は、織田信長との戦いに敗れ、一乗谷は神社仏閣、居館から町屋に至るまで火を放たれ消失しました。当時、城下には一万人が暮らしていたそうです。
一乗谷朝倉氏遺跡は、一乗谷城と城下町からなり、国の特別史跡に指定されています。

一乗谷朝倉氏遺跡

一乗谷朝倉氏遺跡

一乗滝

一乗滝は、福井市浄教寺一乗谷の一番奥まったところ一乗山の山懐にある落差12mの滝。
剣豪佐々木小次郎がここを修行の場として、心技の秘術「燕返し」をあみだしたところとも伝えられています。
岩流(佐々木)小次郎は、越前宇坂の庄、浄教寺村の生まれと江戸時代の書物「二天記」にその記録があります。

一乗滝

一乗滝

虹立つや神の大瀧木かくれて 伊与鹿峰

曹洞宗大本山 永平寺 March, 2019

今日は彼岸の中日。永平寺にお参りに行ってきました。

永平寺

永平寺

永平寺は、寛元二年(1244年)、越前の国に、道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場。道路も整備され車で行くことができますが、四方を山に囲まれた深山幽谷の地にあります。

永平寺 唐門

唐門

七堂伽藍

伽藍には僧侶が修行をする清浄な場所という意味があり、禅宗寺院では、法堂、仏殿、僧堂、庫院、山門、東司、浴室を指して「七堂伽藍」と呼び、中でも僧堂、東司、浴室は「三黙道場」といわれ、修行をする上で大切な場所とされているということです。

永平寺 仏殿

仏殿…七堂伽藍の中心に位置し、お釈迦様(釈迦牟尼仏)が祀られています。右奥に見えるのは大庫院。

永平寺 法堂

法堂…七堂伽藍の一番奥に位置し、朝課など各種法要が行われます。この日は、吉祥会の献茶式の法要が執り行われていました。

永平寺  山門の屋根

永平寺 山門

山門…1749年建立。唐時代様式の楼閣門で、両側に佛教の守護神である四天王が安置されています。

永平寺 報恩塔

報恩塔…写経を納める塔です。

永平寺  中雀門と山門

中雀門

永平寺 鐘楼

鐘楼

 

 

 

 

散り椿 五色八重散椿 March, 2019

地蔵院 散り椿

混陽山 地蔵院、通称「椿寺」の散り椿が見頃を迎えていました。
地蔵院は、京都 嵐電 北野白梅町駅から歩いて五分ほどのところにあります。
摂津国伊丹の昆陽野池のほとりに行基が建立、京の衣笠に移された後、1589年に豊臣秀吉が、現在地の地に移しました。
花が落ちず、花びらが一枚づつ落ちる椿「五色八重散椿」は、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰り、豊臣秀吉に献上したということです。
現在の散り椿は二代目で、樹齢は120年とのことです。

「散り椿」の御朱印は、散り椿が咲く季節のみ頂く事が出来るようです。

地蔵院 散り椿

地蔵院 散り椿

 

早春の京都府立植物園 March, 2019

クロッカス

カタクリ

ユキワリイチゲ

ゲンカイツツジ

ヒュウガミズキ

ヒュウガミズキ

ダンコウバイ

ハチジョウキブシ

水仙・風信子・ショウジョウバカマ・ツワブキ・諸葛菜(ハナダイコン)

タチツボスミレ・ニリンソウ・ラショウモンカズラ
龍の玉・タチツボスミレ・テンニンソウ・イチリンソウ

オオスミリウ

若狭一の宮 若狭彦神社

奈良時代、霊亀元年(715年)の鎮座。海幸山幸の神話で名高い彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと 海幸彦)が祀られています。
下社である若狭姫神社とともに平安時代の延喜式に名神大社として記載されている若狭の国きっての格式の高い古社です。

海幸彦の母は、木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)、父は天照大神の孫であるニニギノミコト。

ニニギノミコトと、笠沙の岬でコノハナサクヤヒメに出逢い求婚します。コノハナサクヤヒメの父オオヤマツミはそれを喜び、姉のイワナガヒメと共にニニギノミコトに差し出しますが、ニニギノミコトはイワナガヒメを送り返し、美しいコノハナノサクヤヒメと結婚します。オオヤマツミはこれを怒り「私が娘二人を一緒に差し上げたのはイワナガヒメを妻にすればニニギノミコトの命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤヒメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。コノハナノサクヤヒメだけと結婚すれば、ニニギノミコトの命は木の花のようにはかなくなるだろう」と告げたという神話があります。

若狭彦神社

お水送り March, 2019

若狭神宮寺 お水送り

今年は土曜日ということもあってか、例年以上の人出でした。お水送りが終わると、いよいよ若狭に春がやってきます。

◆ 若狭神宮寺のお水送り
「お水送り」は奈良東大寺二月堂の「お水取り」の「お香水」を送る神事。若狭神宮寺上流にある鵜の瀬に流すお香水は、十日をかけて奈良東大寺二月堂の「若狭井」に届くとされており、毎年三月二日に行われる神事です。 今年も奈良から多数の方がお見えでした。

修二会、達陀、神宮寺大護摩、松明行列、鵜瀬の大護摩、送水神事の行が厳粛のうちにとりおこなわれます。

若狭神宮寺は、奈良時代 和銅七年、若狭国一の宮の神願寺として開創され、鎌倉時代初期に寺号を若狭彦神社別当寺神宮寺と改められた神仏習合のお寺です。

18:00 修二会(非公開)(於:神宮寺堂内)
18:30 達陀(だったん)(於:神宮寺堂内・境内庭)
19:00 大護摩法要(於:神宮寺前庭)
19:30 松明行列(於:神宮寺から鵜の瀬へ移動)
20:00 鵜の瀬大護摩供
20:30 お水送りの神事
21:00 立ち直会(なおらい)

伊勢句会 December, 2018

とっても愉しみにしていた伊勢句会。気の置けない素敵な句友の皆さんが全国各地から伊勢に集い、伊賀の里と伊勢神宮に。
歩いて食べて、飲んで笑っての愉しい二日間でした (#^^#)

旅人と呼ばれし伊賀の冬日和  ことは

伊賀市 蓑虫庵

芭蕉の門人 伊賀連衆の高弟 服部土芳の居宅。芭蕉翁五庵の中で唯一現存する庵だということです。

みの虫の音を聞きにこよ草の庵 芭蕉
よくみれば薺花さく垣根かな  芭蕉

伊賀焼 長谷園

築窯は、天保3年(1832)。登り窯は昭和40年代まで稼働してとのこと。
大正館では、伊賀焼と珈琲をまったりと愉しむことができました。

豆腐田楽

伊賀市の老舗 田楽座わかやさんで夕食。

神宮

奉幣の儀

奉幣の儀
12月の月次祭は、10月の神嘗祭・6月の月次祭と共に「三節祭」と呼ばれ、神宮で最も 由緒深い祭典とのことです。皇室の弥栄、五穀の豊穣、国家の隆昌、並びに国民の平安が祈願されます。
祭主 黒田清子(さやこ)様のお姿を拝見できました >^_^<

神宮 祭主 黒田清子様

てこぎ寿し

てこね寿し すし久

伊勢での昼食は、おかげ横丁の老舗「すし久」さんで…