中村吉右衛門 熊谷陣屋

昨晩、NHKで「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」がノーカットで放映され、中村吉右衛門さん渾身の舞台を偲ばせていただきました。

一枝を伐らば、一指を剪るべし
源氏の武将熊谷次郎直実の陣屋、源義経が、熊谷が持ち帰った平氏の若武者平敦盛の首実検を行います。その場には、熊谷の妻 相模と敦盛の母 藤の方が居合わせています。
しかし、熊谷が差し出したその首は、敦盛のものではなく、熊谷の息子 小次郎のものでした。熊谷は、取り乱す妻と藤の方を制し、「一枝を伐らば、一指を剪るべし」と書かれた義経の主命の制札を手に義経の言葉を待ちます。義経は、身替りの首を実検し、敦盛に間違いなしと断言します。

義経は「一枝を伐らば、一指を剪るべし」の制札に事寄せ、熊谷直実に、敵の武将 平敦盛の命を助けよと命じていたのでした。
熊谷は主命にこたえるため、同じ年頃の息子小次郎の首を身替りにしたのです。

敦盛を救う務めを果たした直実は、義経に出家を願います。墨染めの衣に身をつつみ、息子小次郎が生まれてからの十六年が夢のようと、立ち去っていきます。

大義の前に、わが子の命さえも犠牲にするのが武士の社会であったとは言え、子を討った悲しみと嘆きに涙した吉右衛門さん渾身の舞台でした。

KGBの男-冷戦史上最大の二重スパイ

The Spy and the Traitor
KGBの男-冷戦史上最大の二重スパイ ベン・マッキンタイアー

サマーセット・モームやジョン・ル・カレのスパイ小説を凌駕する面白さ。
本書はKGBの上級職員でありながら英国情報機関MI6の協力者となったオレーク・ゴルジェフスキー氏および関係者への取材に基づく実録。巻頭の東西情報員たちの写真も興味深く、数枚の写真は、当時、極秘の写真であったことでしょう。
ゴルジェフスキ―氏がMI6の協力者となったのは1974年。MI6は、氏の正体がKGBに露見した場合に備え、氏をソ連から英国へ脱出させる計画を同時進行しつつ、情報活動をすすめます。・・・1985年7月、脱出計画作戦名「ピムリコ」が発動されます。
大韓航空機撃墜事件、フォークランド紛争、グラスノチ、ペレストロイカ、ベルリンの壁等々の言葉が思い出される時代のドキュメンタリー。インテリジェンスと外交、情報機関と政府との関係など興味深い事実を知ることができました。

情報機関は対象国内に情報提供者・協力者・工作者をリクルートし情報活動を行うのが常道。リクルートの対象となるのは対象国の役人、政治家、ジャーナリスト、財界人など政治経済、世論の形成に影響力をもつ人々。
マーガレット・サッチャー(保守党)が首相を務めていたとき、労働党の党首であったマイケル・フット氏が、ソ連側の情報協力者として多額の報酬を受け取っていたというのは驚きでした。フット氏はこのことが公になった時、名誉棄損の訴訟をおこし勝訴していますが、レーニンの言うところの「有益な愚か者」であったのかもしれません。「有益な愚か者」とは、うまく利用すれば、本人の自覚なしに、操縦者の意図する目的に賛同させることもなく、こちらのプロパガンダを広めさせることができる人物の意だそうです。   

ある情報機関幹部は、対象国のスパイをスカウトする際、以下の助言を情報員に与えたということです。
「運命や生来的特徴によって傷ついているものを探せ。・・・劣等感にさいなまれている者、権力や影響力を求めているが不利な境遇のため挫折した者たちだ。」
スパイ活動を行う四つの動機は、MICE・・・Money(金銭)、Ideology(イデオロギー)、Coercion(強制)、Ego(自尊心)なのだそうです。金銭的報酬を与えること、弱みを握り恐喝すること、政治的信条により共感させること、社会的認知を与えることにより自尊心を満足させることにより、対象人物をスパイとしてリクルートしていくことができると・・・なるほどと納得した次第です。

友あり駄句あり三十年  東京やなぎ句会編

十月に鬼籍にはいられた柳家小三治さん、東京やなぎ句会で句を詠まれていました。俳号は土茶。
他にも会員は、入船亭扇橋さん、永六輔さん、小沢昭一さん、桂米長さん、などなど、名前を拝謁しただけでも、どんな句会だったのだろうと楽しくなってしまいます。
句会実況中継、各々が選ぶ自選駄句と俳句についての所感「俳句と私」・・・たのしみ満載の一冊でした。
句会の会則には罰則もあり、これがまたなんとも面白く、らしいなぁ~と思えてしまいます。「欠席者は当日の会費、賞品、兼題句を代理人に託さなければならない。代理人は女性(未婚女性または欠席せんとするものの配偶者)に限る。代理人を派遣できない甲斐性なきものは、罰金五千円の納入をもってこれに代えることができる。」

柳家小三治さんについての稿を少し抜粋してご紹介します

土茶(柳家小三治)

鶯のかたちに残るあおきな粉
刈り立ての頭撫でてる夜寒かな
ほう鰯だね横目でネクタイほどきつつ
足の裏ひとり押してる信長忌
行く春やごみのんびりと神田川
ふわふわといつのまにやら弥生かな
ぶらんこのまだ揺れている揺れている
時おりは怒ったように春の風
冷奴柱時計の音ばかり
煮凝りの身だけよけてるアメリカ人

我が愛しの駄句  柳家小三治(土茶)

駄句か駄句でないか判断するのは難しい。・・・・・・私も作ってみましたがどうでしょうとお見せくださる方もよくあるが、丸っきりわからない。その人がいい句だろうと思えばいい句だろうし、極論すれば、どうでしょうとひとさまに聞かなきゃならないような心の持ち方がすでによい句とは言えないと言い切ってみたい。
このごろそう思うようになった。のであって、やはり、人はどうみるのだろう、と作り上がった句を見直してしまう。・・・・・・だから、私も作ってみましたがどうでしょうという気持ちはとてもよく分る。できれば、これは素晴らしいと褒めてくれればいいなァという下心も身に憶えは十分にある。が、今迄私も作ってみましたがどうでしょうと見せられて、素晴らしいとかいいとか、言ったことは何度もあるけど思ったことは一度もない。・・・・・・つまり、私にはひとの句を見てよいと評価できる能力がない。ただし、よいとは思わなかったものを別の人がこれァいいと褒めた途端に急によく見えてくる。・・・・・・と心から思ってしまう特技を私は持っている。早い話が俳句はわからない。わからないのである。・・・・・・

「俳句仲間」 ・・・小沢昭一さんが語る小三治さん

柳家小三治さんは、ご承知のとおり当代の落語会を代表するひとり。・・・・・・そのくせこの人は、クラシックをはじめ洋楽が好きで、ステレオやカメラなど機械ものにも凝り、またご存知オートバイを乗り廻し、いつもアメリカへ行きたがっているという、およそ古典派の噺家さんの一般的なイメージとはかけ離れたワイド人間なんです。

・・・・・・手なれたうまさになることを自分で警戒し、素直な実感を大切にしているようです。でもご本人は、そんなつもりはオクビにも出さず、いつも、そらっとぼけているのですよ。

字幕の花園  戸田奈津子

字幕翻訳者の第一人者、戸田奈津子さんのエッセイ集。映画にまつわる戸田さんのエピソードの数々、読んで楽しい一冊でした。

数年前でしたか、戸田奈津子さんが「サワコの朝」に出演された時も、とても興味深い話をされていました。以下、メモ書きです。

字幕を作るときの大事なルール・・・「1秒間に3文字」
3秒間で話される英語のセリフは、9文字で日本語の字幕をつくる。5秒間で話される英語のセリフは,15文字で日本語の字幕をつくる…ということ。
例えば4秒で話される英語のセリフの字幕
直訳 ⇒ 「俺たちを見ろ!俺たちはまだ死んでいないぞ。みんなが俺たちを笑っている。全世界が俺たちを笑っている。」  42文字
意訳 ⇒ 「世間の物笑いのまま終わりたいのか。」  17文字
原文が何を言いたいのかを頭にいれ,そこからエッセンスを取り出して日本語にしている。直訳ではなく、役者の気持ちを伝えるため、役者の気持ちになってセリフを考えている。

日本語の字幕文化を考える
最近の映画は吹き替え版が多くなってきたのは、活字離れがおこり、日本語がわからない日本人が増えてきたのがその主たる原因。それなら日本語を教えればいいということになるが、そうはならない。映画会社は,客をたくさん呼びたいから,客に合わせて、日本語のレベルを下げることを字幕作成者に要求する。例えば…少しと難しい漢字を使うと,若い子に読めないから平仮名にしてくれと字幕作成者に要求する。(すなわち、字数が多くなる)

カタカナの映画のタイトルが多くなったのは・・・
以前は,外国映画の題名に邦題(日本語の題)がついていた。
Gone with the wind→「風と共に去りぬ」
Bonnie and Clyde→「俺たちに明日はない」
ところが最近の外国の映画の題名は,カタカナがやたら多くなった。
Avengers→「アベンジャーズ」
The Lord of the Rings→「ロード・オブ・ザ・リングズ」
ようするに,英語の題名の音声をカタカナで書いて邦題にしているということ。

何故、そうなったのか?映画の邦題を考えるのは,映画会社の宣伝部の仕事。以前は,アメリカで公開される映画は,その1年後に日本で公開されていた。だから,映画の内容を見て,邦題を考える時間があった。現在は,世界同時公開が普通になった。インターネットで映画の英語の題名が、瞬時に広がり誰でも知っている状態になる。そのため、ゆっくりと映画の邦題を考えている時間が取れないのがその理由。

映画の字幕作成者を志している若者へ
英語ができれば字幕ができると思うのはとんでもない間違い。まず,日本語ができないと話にならない。日本語の語彙が豊富でないと訳するときに適切な言葉を見つけることができない。日本語と英語の両方をしっかり勉強すること。

字幕の花園  戸田奈津子

アフガニスタン 山の学校の子どもたち 長倉洋海

「お医者さん、エンジニア、先生、大臣、パイロット・・・・・学校は、それぞれの夢に向かって飛び立つための、大切な翼だ。」
子どもたちは朝5時に起床し、牛・山羊・羊の放牧、生活用水を川まで汲みにいくという仕事を終えてから学校に向かいます。学校が終わるのは12時。午後は放牧の仕事が待っています。
いきいきとした子どもたちの笑顔、過酷な環境の中で日々の生活を営む人々の姿が写真とエッセイを通して語られます。彼らを見つめる長倉洋海氏の眼差しはやさしくあたたかい。
著者の長倉洋海氏は、ソ連がアフガニスタンへ軍事侵攻した翌年の1980年より、アフリカ・中東・中南米・東南アジアなど世界の紛争地を訪れ、そこに生きる人々を取材するジャーナリスト。アフガニスタンの取材は実に40年に及びます。
長倉氏が、カブールの北方、パンシール渓谷にある「山の学校」の子どもたちに初めて出会ったのは、北部同盟がカブールを奪還しタリバン政権が崩壊した翌年の2002年6月。戦争中閉鎖されていた学校がやっと再開したばかりのころ。
「山の学校」は地元の人たちが子どもたちのために自分たちの手で建てたイスラムでは珍しい男女共学の学校です。
長倉氏を「山の学校」に案内したのは北部同盟の指導者マスード。マスードは近隣国に侵略され続けたアフガニスタンの自主独立を願い、ソ連やパキスタンの支援を受ける原理主義集団タリバンと戦い続けてきましたが、アラブ人の自爆テロにより命を絶たれます。
マスードは「未来を創るのは子どもたち。戦争が終わってからでは遅い。今から子どもたちの教育が必要なんだ。」といつも語っていたと言います。

山の学校の子どもたち

悼む人

作者 天童荒太さんが、本書を書くに至った発端は、2001年のアメリカ同時多発テロ事件。
不条理な死に無力感をおぼえ、死者を悼んで旅する人の着想が生まれたということです。実際、三年にわたり亡くなった人を悼む旅をされました。着想より完成まで7年。

事故現場、殺人現場を訪れ、亡くなった人が生前「誰に愛され、誰を愛したか、どんなことをして人に感謝されていたか」・・・ そのことを覚えておくという行為を巡礼のように続ける坂築静人(さかつきしずと)。
母を捨てたと父を憎む雑誌記者。夫を殺した女。自宅で末期癌療養を行う静人の母とその家族 … 坂築靜人を通し、「生」と「死」に深く向き合っていく人々の姿を複層に描きだします。
重いテーマの作品ですが、読み終えて温もりのある余韻。差し込む一筋の光のようなものを感じ読了。

流星や別れの多き年回り ことは

一茶 藤沢周平

けさ秋や瘧(おこり)の落ちたやうな空 一茶

一茶の句を初めて知ったのは小学校の国語の授業。一茶という人はなんと愉快な人なのだろうとずっと思っていました。

実際は生涯を通じ薄幸の人。15歳の時江戸に奉公に出されますが馴染めず、生まれ故郷の信濃に帰り、初めて結婚したのは52歳の時。生まれた長男はすぐに他界。その後、長女「さと」が誕生します。
めだたさも中くらいなりおらが春
這へ笑へ二つになるぞ今日からは
と詠みますが、その「さと」も初夏に亡くなり、二ヵ月して詠んだのが揚句です。

さて、藤沢周平の一茶。読んで心に重い一冊でした。赤貧と漂白に疲れた悲哀の俳人を美化することなくその人となりに迫った書。
藤沢周平は一茶のことを、「ある時は俗物であった。また、まぎれもない詩人だったのである。」とエッセイに記しています。

一茶は、二万におよぶ句を残しました。その中で、藤沢氏の最も好きな句は
木がらしや地びたに暮るる辻謡ひ
霜がれや鍋の墨かく小傾城
の二句だと言うことです。

COVID-19  木村盛世 

とてもわかりやすく、感染症に関する基本的な知識、COVID-19についてデータからわかる事実とわからないこと、現状と課題等が俯瞰的に述べられていました。著者の経歴を拝見すると、米国CDC(疾病予防管理センター)のプロジェクトコーディネーター、厚労省の医療技官をされていたよし。

COVID-19

日本の医療体制、感染症に関わる法体系のことも述べられています。
平時はうまく機能していても、有事の際は、大変脆弱なシステムであることがわかり、現システムの中で対策を講じていくのは大変なことです。
ロックダウン(外出禁止令)について、集団免疫がない状態で感染症の拡大を防ぐには有効な手段。しかし、解除すれば再び感染症は広がる。社会経済活動を止めたり緩めたりするという戦略は、感染症の基本的な性質上、何度も繰り返す必要が出てくるとの説明。なるほどと実感。

ゼロコロナなどというのは夢のまた夢で、ワクチン接種、治療薬の開発が進むまでは、辛抱強く、マスク、手洗い等々の予防策を続けていくほかなさそうです。

昨今の報道に、煽られることなく、冷静に接することができるようになる書です。
以下は、書の内容の簡単なメモ書き・・・お時間があれば >^_^<

感染症の基本

  1. 短い期間に複数の人々にうつす。指数関数の法則・・・感染者が1週間に2.5人の人にうつしたと想定すると20週間後には約9,000万人の人が感染することになる。
  2. 2 いったん感染して治ると、少なくとも当面の間は、再び感染することがないし、他人を感染させることもない。

集団免疫

一気に感染が広がれば感染者数は増加するが、同時に治る人も増え、回復した人は免疫を持つ。免疫をもった人が増えていくと、本来免疫のない人も感染しにくくなる状況が発生する。

変異種

変異種は、致死性が高いかどうかはわからないにしても、拡がりやすい性質がある。

医療崩壊

医療崩壊とはICU(集中治療室)の崩壊を意味する。
もともと日本は先進諸国の中でICUとそれに対応できる医師数は不足している。新型コロナウィルスを受け入れている医療機関は一部であり、この一部の医療機関への負担が問題。
医療キャパシティを増やすことが必要。そうすれば、人の行動を抑制する期間と緩める期間の間隔を長くすることができ、徐々に感染者数を抑えていくことができるとの報告もある。

数のインパクト

疫学では、絶対数よりも率を重視する。死亡率1%の感染症なら100人の内1人が死亡するという確率。1000万人なら10万人となる。日々の報道に接している一般人は10万人という絶対数に注目してしまう。

パブリックヘルス(公衆衛生)と臨床医学

パブリックヘルスとは、医療だけでなく免疫学、獣医学などの基礎医学や、社会経済的分野を含めて医療保健を扱う概念。パブリックヘルスの立場から考えると、若い世代の中に稀に重症化する人がいても、それが確率として低ければさほど重要視しない。一方、臨床医学では、一人の患者として、その治療に専念する。
対策を個人におくか、集団すなわちマスに重きをおくかで、対応は違ってくる。
ワクチンはパブリックヘルスの最も代表的なツール。副反応という有害事象が一定程度あったとしても予防効果がそれを上回る場合には集団に導入する。

感染症に関わる法体系・・・検疫法・感染症法・特措法

  1. 検疫法(厚労省医薬・生活衛生局 活動主体は厚労省の出先機関 検疫所)
    国外からの感染症の侵入防止が目的。
    いったん国内に入った感染症拡大防止はこの法律の対象外。検疫所の職員は国際線ターミナルの制限区域に立ち入ることはできるが、国内線旅客ターミナルに立ち入ることはできない。
  2. 感染症法(厚労省健康局 活動主体は地方自治体の保健所)
    国内の感染症拡大防止が目的。
    感染症法に指定された感染症が発生した場合は、医師ないし医療機関が保健所に届けるというのが法律の骨子。
    厚労省は国で決定された事項を「通知」あるいは「事務連絡」という形で地方自治体に依頼する。
  3. 新型インフルエンザ等対策特別措置法(内閣官房)
    国内の感染症拡大防止が目的。

役所は法令順守を第一義とする。現在の法体系が現状にそぐわず、国家として一元的に危機管理ができる法体系を整備する必要があるとは、著者の見解。

死の淵を見た男 門田隆将

多くの関係者への丹念な取材により、福島原子力発電所の事故現場の様子を伝える書。
東北大震災よりおよそ一年半後の2012年12月に上梓されたルポルタージュです。
この書をもとにした「Fukusima 50」、封切の時期とコロナ感染症の拡大時期が重なったため劇場で観ることが叶わずにいたのですが、先週テレビでやっと観ることができました。
あの状況の中、命をかえりみず、放射能に汚染された真っただ中に突っ込んでいった東電社員、自衛隊員たちの姿がありました。取材した筆者が一番に驚いたことは、「彼らは、彼らがとった行動を当然のことと捉え、今もってあえて話す必要がないと思っていたこと。」だと後書きに記しています。
映画もよかったですが、現場での出来事を克明に知るには、本書をお読みになることをお勧めします。

原子力発電所の急所は「全電源喪失による冷却不能」に陥ることです。1992年、原子力安全委員会は、「30分以上の長時間の全電源喪失について考慮する必要はない」とし、安全指針の改訂を見送っていたことが2012年に明らかになりました。そのようなことは起こりえるはずがないという過信があったのでしょう。過去を問うことにもっぱらな昨今の風潮を感じますが、よりよき未来のためになすべきことを、併せて語ることが必要なのでは・・・と思えてなりません。

世界史の極意  佐藤 優 

昨年秋、佐藤 優氏が菊池寛賞を受賞されたと知り、氏の著書を何冊か再読した中の一冊。

本書は「多極化する世界」「民族問題」「宗教紛争」の三章で構成されています。
筆者は、現在の状況を正確に捉え見通すため、世界史をアナロジカルに観ることが必要と説きます。「アナロジカルに歴史を見るとは、いま自分が置かれている状況を、別の時代、別の場所に生じた別の状況との類比にもとづいて理解するということ。アナロジー的思考は、論理では読み解けない、非常に複雑な出来事を前にどう行動するかを考えることに役立つ。」
ここ数年間の国内外の混乱は誰もが知る通りですが、2015年に上梓された本書をあらためて読むと、なるほどと頷くことが多いです。蟻の眼的、刹那的、煽情的な報道が多くなった時代、いい書に再会できたと思います。

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アナロジカルに見た近代史の歩み・・・
  • 資本主義は必然的にグローバル化を伴って、帝国主義に発展した。
  • 1991年のソ連崩壊によって、再び資本主義は加速し、新・帝国主義の時代が訪れた。
  • 帝国主義の時代には、資本主義がグローバル化していくため国内では貧困や格差拡大という現象が現れる。
  • 冨や権力の偏在がもたらす社会不安や精神の空洞化は、社会的な紐帯を解体し、砂粒のような個人の孤立化をもたらす。そこで国家は、ナショナリズムによって人びとの統合を図る。同時に、帝国内の少数民族は、程度の差こそあれ民族自立へと動き出す。
  • 「見える世界」の重視という近代の精神は、旧・帝国主義の時代に戦争という破局をもたらした。
  • 現在の新・帝国主義の時代において、目には見えなくとも確実に存在するものが再浮上してくる。
アナロジカルな視点の必要性・・・
  • 私たちは「見えない世界」へのセンスを磨き、国際社会の水面下で起こっていることを見極めなければならない。
  • 歴史には国家によって、民族によって複数の見方がある。歴史は物語であるという原点に立ち返る必要がある。
  • 立場や見方が異なれば、歴史=見方は異なる。世界には複数の歴史がる。そのことを自覚したうえで、よき物語を紡いで、伝えることが重要である。
  • 戦争を避けるために、私たちはアナロジーを熟知して、歴史を物語る理性を鍛えあげていかなければならない。