悼む人

作者 天童荒太さんが、本書を書くに至った発端は、2001年のアメリカ同時多発テロ事件。
不条理な死に無力感をおぼえ、死者を悼んで旅する人の着想が生まれたということです。実際、三年にわたり亡くなった人を悼む旅をされました。着想より完成まで7年。

事故現場、殺人現場を訪れ、亡くなった人が生前「誰に愛され、誰を愛したか、どんなことをして人に感謝されていたか」・・・ そのことを覚えておくという行為を巡礼のように続ける坂築静人(さかつきしずと)。
母を捨てたと父を憎む雑誌記者。夫を殺した女。自宅で末期癌療養を行う静人の母とその家族 … 坂築靜人を通し、「生」と「死」に深く向き合っていく人々の姿を複層に描きだします。
重いテーマの作品ですが、読み終えて温もりのある余韻。差し込む一筋の光のようなものを感じ読了。

流星や別れの多き年回り ことは

一茶 藤沢周平

けさ秋や瘧(おこり)の落ちたやうな空 一茶

一茶の句を初めて知ったのは小学校の国語の授業。一茶という人はなんと愉快な人なのだろうとずっと思っていました。

実際は生涯を通じ薄幸の人。15歳の時江戸に奉公に出されますが馴染めず、生まれ故郷の信濃に帰り、初めて結婚したのは52歳の時。生まれた長男はすぐに他界。その後、長女「さと」が誕生します。
めだたさも中くらいなりおらが春
這へ笑へ二つになるぞ今日からは
と詠みますが、その「さと」も初夏に亡くなり、二ヵ月して詠んだのが揚句です。

さて、藤沢周平の一茶。読んで心に重い一冊でした。赤貧と漂白に疲れた悲哀の俳人を美化することなくその人となりに迫った書。
藤沢周平は一茶のことを、「ある時は俗物であった。また、まぎれもない詩人だったのである。」とエッセイに記しています。

一茶は、二万におよぶ句を残しました。その中で、藤沢氏の最も好きな句は
木がらしや地びたに暮るる辻謡ひ
霜がれや鍋の墨かく小傾城
の二句だと言うことです。

COVID-19  木村盛世 

とてもわかりやすく、感染症に関する基本的な知識、COVID-19についてデータからわかる事実とわからないこと、現状と課題等が俯瞰的に述べられていました。著者の経歴を拝見すると、米国CDC(疾病予防管理センター)のプロジェクトコーディネーター、厚労省の医療技官をされていたよし。

COVID-19

日本の医療体制、感染症に関わる法体系のことも述べられています。
平時はうまく機能していても、有事の際は、大変脆弱なシステムであることがわかり、現システムの中で対策を講じていくのは大変なことです。
ロックダウン(外出禁止令)について、集団免疫がない状態で感染症の拡大を防ぐには有効な手段。しかし、解除すれば再び感染症は広がる。社会経済活動を止めたり緩めたりするという戦略は、感染症の基本的な性質上、何度も繰り返す必要が出てくるとの説明。なるほどと実感。

ゼロコロナなどというのは夢のまた夢で、ワクチン接種、治療薬の開発が進むまでは、辛抱強く、マスク、手洗い等々の予防策を続けていくほかなさそうです。

昨今の報道に、煽られることなく、冷静に接することができるようになる書です。
以下は、書の内容の簡単なメモ書き・・・お時間があれば >^_^<

感染症の基本

  1. 短い期間に複数の人々にうつす。指数関数の法則・・・感染者が1週間に2.5人の人にうつしたと想定すると20週間後には約9,000万人の人が感染することになる。
  2. 2 いったん感染して治ると、少なくとも当面の間は、再び感染することがないし、他人を感染させることもない。

集団免疫

一気に感染が広がれば感染者数は増加するが、同時に治る人も増え、回復した人は免疫を持つ。免疫をもった人が増えていくと、本来免疫のない人も感染しにくくなる状況が発生する。

変異種

変異種は、致死性が高いかどうかはわからないにしても、拡がりやすい性質がある。

医療崩壊

医療崩壊とはICU(集中治療室)の崩壊を意味する。
もともと日本は先進諸国の中でICUとそれに対応できる医師数は不足している。新型コロナウィルスを受け入れている医療機関は一部であり、この一部の医療機関への負担が問題。
医療キャパシティを増やすことが必要。そうすれば、人の行動を抑制する期間と緩める期間の間隔を長くすることができ、徐々に感染者数を抑えていくことができるとの報告もある。

数のインパクト

疫学では、絶対数よりも率を重視する。死亡率1%の感染症なら100人の内1人が死亡するという確率。1000万人なら10万人となる。日々の報道に接している一般人は10万人という絶対数に注目してしまう。

パブリックヘルス(公衆衛生)と臨床医学

パブリックヘルスとは、医療だけでなく免疫学、獣医学などの基礎医学や、社会経済的分野を含めて医療保健を扱う概念。パブリックヘルスの立場から考えると、若い世代の中に稀に重症化する人がいても、それが確率として低ければさほど重要視しない。一方、臨床医学では、一人の患者として、その治療に専念する。
対策を個人におくか、集団すなわちマスに重きをおくかで、対応は違ってくる。
ワクチンはパブリックヘルスの最も代表的なツール。副反応という有害事象が一定程度あったとしても予防効果がそれを上回る場合には集団に導入する。

感染症に関わる法体系・・・検疫法・感染症法・特措法

  1. 検疫法(厚労省医薬・生活衛生局 活動主体は厚労省の出先機関 検疫所)
    国外からの感染症の侵入防止が目的。
    いったん国内に入った感染症拡大防止はこの法律の対象外。検疫所の職員は国際線ターミナルの制限区域に立ち入ることはできるが、国内線旅客ターミナルに立ち入ることはできない。
  2. 感染症法(厚労省健康局 活動主体は地方自治体の保健所)
    国内の感染症拡大防止が目的。
    感染症法に指定された感染症が発生した場合は、医師ないし医療機関が保健所に届けるというのが法律の骨子。
    厚労省は国で決定された事項を「通知」あるいは「事務連絡」という形で地方自治体に依頼する。
  3. 新型インフルエンザ等対策特別措置法(内閣官房)
    国内の感染症拡大防止が目的。

役所は法令順守を第一義とする。現在の法体系が現状にそぐわず、国家として一元的に危機管理ができる法体系を整備する必要があるとは、著者の見解。

死の淵を見た男 門田隆将

多くの関係者への丹念な取材により、福島原子力発電所の事故現場の様子を伝える書。
東北大震災よりおよそ一年半後の2012年12月に上梓されたルポルタージュです。
この書をもとにした「Fukusima 50」、封切の時期とコロナ感染症の拡大時期が重なったため劇場で観ることが叶わずにいたのですが、先週テレビでやっと観ることができました。
あの状況の中、命をかえりみず、放射能に汚染された真っただ中に突っ込んでいった東電社員、自衛隊員たちの姿がありました。取材した筆者が一番に驚いたことは、「彼らは、彼らがとった行動を当然のことと捉え、今もってあえて話す必要がないと思っていたこと。」だと後書きに記しています。
映画もよかったですが、現場での出来事を克明に知るには、本書をお読みになることをお勧めします。

原子力発電所の急所は「全電源喪失による冷却不能」に陥ることです。1992年、原子力安全委員会は、「30分以上の長時間の全電源喪失について考慮する必要はない」とし、安全指針の改訂を見送っていたことが2012年に明らかになりました。そのようなことは起こりえるはずがないという過信があったのでしょう。過去を問うことにもっぱらな昨今の風潮を感じますが、よりよき未来のためになすべきことを、併せて語ることが必要なのでは・・・と思えてなりません。

世界史の極意  佐藤 優 

昨年秋、佐藤 優氏が菊池寛賞を受賞されたと知り、氏の著書を何冊か再読した中の一冊。

本書は「多極化する世界」「民族問題」「宗教紛争」の三章で構成されています。
筆者は、現在の状況を正確に捉え見通すため、世界史をアナロジカルに観ることが必要と説きます。「アナロジカルに歴史を見るとは、いま自分が置かれている状況を、別の時代、別の場所に生じた別の状況との類比にもとづいて理解するということ。アナロジー的思考は、論理では読み解けない、非常に複雑な出来事を前にどう行動するかを考えることに役立つ。」
ここ数年間の国内外の混乱は誰もが知る通りですが、2015年に上梓された本書をあらためて読むと、なるほどと頷くことが多いです。蟻の眼的、刹那的、煽情的な報道が多くなった時代、いい書に再会できたと思います。

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アナロジカルに見た近代史の歩み・・・
  • 資本主義は必然的にグローバル化を伴って、帝国主義に発展した。
  • 1991年のソ連崩壊によって、再び資本主義は加速し、新・帝国主義の時代が訪れた。
  • 帝国主義の時代には、資本主義がグローバル化していくため国内では貧困や格差拡大という現象が現れる。
  • 冨や権力の偏在がもたらす社会不安や精神の空洞化は、社会的な紐帯を解体し、砂粒のような個人の孤立化をもたらす。そこで国家は、ナショナリズムによって人びとの統合を図る。同時に、帝国内の少数民族は、程度の差こそあれ民族自立へと動き出す。
  • 「見える世界」の重視という近代の精神は、旧・帝国主義の時代に戦争という破局をもたらした。
  • 現在の新・帝国主義の時代において、目には見えなくとも確実に存在するものが再浮上してくる。
アナロジカルな視点の必要性・・・
  • 私たちは「見えない世界」へのセンスを磨き、国際社会の水面下で起こっていることを見極めなければならない。
  • 歴史には国家によって、民族によって複数の見方がある。歴史は物語であるという原点に立ち返る必要がある。
  • 立場や見方が異なれば、歴史=見方は異なる。世界には複数の歴史がる。そのことを自覚したうえで、よき物語を紡いで、伝えることが重要である。
  • 戦争を避けるために、私たちはアナロジーを熟知して、歴史を物語る理性を鍛えあげていかなければならない。

野良犬の値段  百田直樹

書き下ろしによる百田氏初のミステリー。読み始めると書を置くことなく最後まで読んでしまう人が多いだろう。読後に得られるのは一抹のカタルシス。「永遠のゼロ」や「海賊と呼ばれた男」を読んだ時のようなぬくもりは残らない。ミステリーの形をとってはいるものの氏が描きたかったのは現代の世相、マスメディア、マスメディアに言葉を切り売りするコメンテーター、マスメディアに翻弄される人々へのアンチテーゼ…なのかもしれぬ。

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寒い国から帰ってきたスパイ  ジョン・ル・カレ

The spy who came in from the cold   John le Carré

昨年12月、ジョン・ル・カレ氏の訃報を知り、氏の傑作「寒い国から帰ってきたスパイ」を数十年ぶりに再読。

大学卒業後、英国外務省職員として西独(当時)の英国大使館に赴任。しばらくの間、MI5(軍情報部第5課)、MI6(SIS 秘密情報部)で働いていたことがあるとも伝えられている。「死者にかかってきた電話」で小説家としてデビュー。

ベルリンの壁が築かれ東西の冷戦が緊張化していた時代。暗躍する組織と情報部員の姿がリアリスティック。それだけに、冷徹な任務の中に描かれる機微な人の情が切ない。複雑で巧妙なプロット、最後までスリリングな物語の面白さは時代が変わっても色褪せることなく読了。

寒い国から帰ってきたスパイ

若狭路 水上勉 著

「私は九歳で若狭を出た。今では東京で暮らす人間の一人だが、瞼の壁に消え去らない若狭を、主観的に書きとめておくことも、あるいは私のつとめなのかもしれないと思って、この文を書く気持ちになったのである。」とあとがきにある。

水上は、本郷村(現 福井県 おおい町)の生まれ。9歳の時、京都に住む伯父の元に送られ、相国寺の塔頭のひとつ瑞俊院の小僧となる。その後の経歴は省略するが、「雁の寺」、「金閣炎上」、「飢餓海峡」、「越前竹人形」等々数多くの作品を残している。

さて、若狭は古刹が多く風光明媚な地。穏やかな風土に恵まれた地域だけれど、「原発銀座」というあまりありがたくない名で呼ばれることもある。本書の発刊は昭和43年。敦賀市白木地区に高速増殖炉「もんじゅ」が建設されることになったのは、その2年後、昭和45年のこと。

本書は、水上の若狭紀行と共に、発刊当時の若狭地方の写真が数多く収められている。モノクロームで撮られた春夏秋冬の景は、随分昔に見た記憶が懐かしい若狭の風景。何回も訪れている所もあれば、一度訪れてからもう数十年もたってしまっている所、まだ一度も訪れたことがない所もあり、本書をたのしんだ。

本書が発刊されてから50年。読後、この書に描かれている若狭の風景と現在の若狭の風景を見比べてみたいという気持ちがふつふつと起こり、暇を見つけては、若狭路をまわっている今日この頃。

若狭路  水上 勉

キリンの子 鳥居歌集

読んで切ないけれど、その切なさを昇華する言葉の力に出会えます。
手に取りそこにあるすべての歌を読まれることをお勧めしたい歌集です。 第61回現代歌人協会賞受賞

キリンの子

病室は豆腐のような静けさで割れない窓が一つだけある

朝の道「おはよ! 元気?」と尋ねられもう嘘ついた 四月一日

空色のペン一本で描けるだけの空を描いてみたい昼過ぎ

灰色の死体の母の枕にはまだ鮮やかな血の跡がある

目を伏せて空へのびゆくキリンの子 月の光はかあさんのいろ

全裸にて踊れと囃す先輩に囲まれながら遠く窓見る

爪のないゆびを庇って耐える夜 「私に眠りを、絵本の夢を」

「ち」のそばに「し」の字はありて少女らがすべらせていく赤い銅貨を

サインペンをきゅっと鳴らして母さんが私のなまえを書き込む四月

お月さますこし食べたという母と三日月の夜の坂みちのぼる

振り向かず前だけを見る参観日一人で生きていくということ

慰めに「勉強など」と人は言う その勉強がしたかったのです

ひたひたと廊下を歩く ドアがあく イスに座って 被害を話す

花火観に家族で海へ行った夜ほめてもらった絵は 今 どこ に

友達の破片が線路に落ちていて私とおなじ紺の制服

鉄棒に一回転の景色あり身体は影と切り離されて

手を繋ぎ二人入った日の傘を母は私に残してくれた

「・・・生身の言葉であるから、他者に思いは伝わり、他者を動かしていったのだろう。そこに私は、言葉の本源的な力を見る思いがする。自分の言葉をもった人は孤独ではない。言葉を信じる人に、あるいは迷いつつも信じたい人に、キリンの子が届いてほしい。」 吉川宏志(歌人)

キリンは森へ 川越歌澄句集

川越歌澄さんの第二句集

キリンを実際に見たのは幼いころの動物園。そう言えば長いこと見ていません。アフリカに住んでいる動物ぐらいのことしか知らなかったのだけれど、「キリンはもともと森に暮らしていた動物で、独特な模様は木漏れ日に紛れるためと聞いたことがある。警戒する相手に対しては正面を向いて直立し、木のふりをする。どこにいてもキリンは森の一部なのだ。」とあとがきを読んで知りました。川越さんのfacebookによく掲載される上野恩賜公園、上野動物園の写真を思い浮かべながら愉しく拝読しました。
読んで気持ちがやわらかくなる御句ばかり。好きな句をいくつか…

風やめばやつぱり独り麦の秋

丸善を巡りぬ父の日の父と

一の山超えて二の山春の雨

猛禽の撫肩にして朝曇

ゐどころを探してきのこ日和かな

立春やキリンのこぼす草光る

夏服や撮るときに目をそらす癖

ゆるゆるとキリンの尿る大暑かな

牛蛙世界はちやんと美しい

ただ水のやうに歩かう月今宵

居待月キリンは森へ帰るのか

キリンは森へ